毛利たま

〔人物〕 大正12年4月5日、青森県南津軽郡山形村石名坂字川原子の木村永作、たけの長女に生まれた。昭和16年温湯の毛利専蔵と結婚、のぶ子、昭子、憲夫、昭一等の子をもうけた。戦後になって、夫専蔵の木地にこけしの描彩を行うよ… 続きを読む

早坂せつ子

〔人物〕昭和10年12月6日、宮城県志田郡三本木町の農業斎藤作治、まさおの長女に生まれた。三本木小学校を卒業した。昭和30年鳴子の木地業早坂隆と結婚した。隆は当時独立していたが、以前岡崎斉吉の木工所で働いていたのでこけし… 続きを読む

佐々木末治

秋田県本荘の人。もともとは製菓業であり小林菓子店で働いていたが、戦時中砂糖の入手が困難になったので共に働いていた皆川元一、佐々木久作らと共に秋田の工芸指導所に入所し、鳴子から来た高橋盛の弟子となって木地を学んだ。本荘の由… 続きを読む

小林英一

〔人物〕 大正6年10月1日、岩手県和賀郡湯田小林辻右衛門、ちよのの次男に生まる。父辻右衛門は旅館幸助館(後のつるや)の出で、大正10年に木地伝習所を開設、その後小林木工所として営業した。そこに佐藤丑蔵が講師、職人として… 続きを読む

皆川元一

〔人物〕明治43年10月1日、秋田県本荘に生まる。本荘の佐々木末治、象潟の佐々木久作とともに「三之助もろこし」の本舗である本荘市の小林菓子店に丁稚奉公し、年期明け後本荘駅前通りに独立開業した。戦争中、砂糖が人手困難となり… 続きを読む

佐藤政雄

山形県山寺の富士屋旅館の息子で蔵王高湯の岡崎長次郎に木地を習い、山寺で約3年ほど木地を挽いた後、家業の旅館業に戻った。その後石山三四郎にこけしの描彩を教えている。この頃、佐藤政雄は木地を廃業したので、山寺宝珠山立石寺境内… 続きを読む

佐藤賢治

〔人物〕明治13年9月25日、仙台市東五番丁1の木地業佐藤半治、えんの二男に生まれる。仙台で一番古い木地師の家系で、父半治について木地を修業した。元来横木挽きが専門で、主として家具の部品等を挽いた。 遺族の話では賢治の父… 続きを読む

浜津千代子

〔人物〕昭和7年10月17日、栃木県の商業田村長吉の四女に生まれた。白石の八代鉄園の義妹である。昭和31年こけし工人浜津平三郎と結婚、その後夫の平三郎の木地に描彩を行うようになった。 昭和45年より義兄八代鉄園のこけしの… 続きを読む

佐々木久作

〔人物〕大正2年5月11日、秋田県由利郡象潟に生まる。本荘市の「三之助もろこし」本舗小林菓子店に丁稚奉公した。この間日中戦争に徴兵となったが帰還して年期明け後、象潟へ帰って佐々木菓子店を開業した。しかし戦争激化につれて砂… 続きを読む

奥山庫治

〔人物〕昭和9年6月10日、奥山喜代治、ハツエの長男として山形県最上郡肘折温泉に生まる。昭和24年頃父喜代治より木地を習う。同27年より東邦亜鉛大蔵鉱業所に勤めたが昭和34年大蔵鉱業所が閉鎖となったために九州の対馬鉱業所… 続きを読む