当て字

こけし愛好家や趣味人がひらがなの俗をきらって、漢字の当て字を好んで用いたことがあった。 これは江戸・明治期の趣味人たちに漢学尊重の風があり、こけし愛好家もこの風に倣ったことによる。 こけし愛好家は、こうした当て字を用いて… 続きを読む

笹沼兼吉

明治7年10月7日、山形市旅篭町の小林倉治二男に生まれた。南山学校(寺子屋)で学んだ。幼少のころから父倉治について木地を修業した。こけしが上手で盛んに作ったという。明治24年、阿部常松が一人挽轆轤の技術を伝えたが、明治2… 続きを読む

加藤昭子

〔人物〕昭和17年2月16日、岩手県盛岡市松尾町で生まれた。昭和39年11月23日に結婚。海谷吉右衛門型を継承していた小塚錠一は、木地作業が年齢的に辛くなり、昭和62年頃より遠刈田の大宮正男に木地を依頼するようになった。… 続きを読む

土湯名産の栞

大正12年に斎藤太治郎が土湯上ノ町に移って、こけし製作を再開したときに作成して、店に製品を買いに来る湯治客に配った栞。正式には「土湯名産実ニ御目出度挽地玩具ノ福音」という。こけしや木地玩具がいかなるものとして商われていた… 続きを読む

山谷太兵衛

〔人物〕山谷家は青森県温湯鶴泉に移ってきて木地屋を開業し代々太兵衛を名乗っていた。 木村弦三著の〈陸奥のこけし〉で多兵衛と表記されて以来、多兵衛でよく知られているが戸籍表記では太兵衛が正しい。こけし工人で知られる山谷権三… 続きを読む

大沼秀顯

〔人物〕 昭和31年5月20日、宮城県玉造郡鳴子町湯元のこけし工人大沼秀雄、百合子の長男として鳴子に生まれる。昭和50年県立古川高校を卒業し、同年4月より父秀雄について木地修業を開始した。昭和57年のこけしまつりに初めて… 続きを読む

鹿島秀悦

〔人物〕昭和16年2月15日生まれ。昭和50年より鳴子の大沼健三郎、健伍父子に師事して木地を修得した。実質的な指導は健伍が行った。そのころよりこけし製作を始め、その後鳴子町名生定滝岸で独立した。 令和2年1月15日没、行… 続きを読む

小椋岩右衛門

小椋信右衛門の子。信右衛門一族は文化10年(1827)に近江を出て信州に移り、文政年間に宮城県玉造郡中山平に漂移し、蛭谷系の氏子狩に応じた。岩右衛門は天保七年(1836)の飢饉に追われて羽後に入り、雄勝郡高松村桂沢に木地… 続きを読む

及川吉三

〔人物〕  明治14年岩手県江刺郡岩谷堂町に生まれる。木地は、明治30年17歳の頃、工場で働きながら習得した。それゆえ師匠というものはいないが宮城県白石町生まれの佐藤熊治という工人から最も多く指導を受けたという(西田峯吉… 続きを読む

柿澤是隆

〔人物〕 昭和15年11月10日、宮城県川渡の鮮魚業柿澤武雄の三男に生まれる。中学校卒業後鳴子高勘の高橋盛雄について木地を修業、昭和36年より二年間山形県鶴岡市で村木せつのこけしの木地を挽いた。昭和39年より46年まで遊… 続きを読む