斎藤徳寿

〔人物〕 大正15年1月25日、福島県耶麻郡西会津町登世島の商人宿・雑貨店経営斎藤茂、ふじ江の次男に生まれる。昭和13年に耶麻郡尾野本小学校高等科を卒業した。昭和16年に茨城県龍ヶ崎市の羽田精機に入り、軍需作業に従事した… 続きを読む

小室由一

〔人物〕 昭和12年4月10日、商業小室由吉の長男に生れる。由一の母は、遠刈田の佐藤英太郎の母と姉妹という。昭和31年20歳の時、遠刈田の佐藤好秋について木地を学び、好秋の下で6年間修業を積んだ。兄弟弟子に大宮正男、今野… 続きを読む

盛美津雄

〔人物〕 昭和30年1月12日青森県黒石市温湯の木地業盛眞一・初江の三男に生まれる。大東文化大学卒業後祖父盛秀太郎、父眞一について木地を学び、昭和52年10月より美津雄名義のこけしを発表した。製作数は発表時より少なかった… 続きを読む

大沼熊治郎

〔人物〕明治9年9月15日、鳴子大沼善三郎(通称栄五郎)の二男に生まる。父善三郎は大沼駒蔵の長男で弟に栄三郎がいた。父栄五郎は沢口吾左衛門文書の木地挽きの部にその名を見ることができる。熊治郎は父栄五郎より木地技術を習得。… 続きを読む

田代寅之助

遠刈田に足踏みロクロ(一人挽きロクロ)を伝えたという木地師。 東京本所の人で、日光の菅原熊吉のもとて1年ほどを仕事をしたのち、仙台の高橋胞吉のところに寄り、そこで遠刈田新地に木地屋が多いと教えられて、明治18年旧1月16… 続きを読む

佐藤みつ子

〔人物〕昭和9年5月30日生まれ。戸籍表記は佐藤瑞子。鳴子のこけし工人桜井実と結婚、桜井実は佐藤家の婿となったので昭和36年頃より佐藤実の名でこけしを出すようになった。 みつ子は結婚当初からこけしに興味があり、夫実の仕事… 続きを読む

佐藤源吉

山形県蔵王高湯(蔵王温泉)の岡崎長次郎の弟子。〈鴻〉によると昭和16年以前に転業しているが、生年月日出身地やその後の消息は不明である。こけしは雇われた職人と同様に長次郎描彩こけしの木地を挽いたものと思われる 。

菅野武志

明治39年ころ、宮城県白石市福岡村深谷に生まれた。大正7年13歳で山形県及位の佐藤文六の弟子となり、7年間修業した。遠刈田我妻信雄の父庄三郎もこのころ及位の文六のもとにいた。 のちに東京へ出て、転業し左官などをしていたと… 続きを読む

佐藤寛次

〔人物〕昭和11年7月25日、宮城県刈田郡遠刈田新地のこけし工人佐藤護の次男に生まれた。昭和26年、遠刈田中学校を卒業してから、父護のもとで木地の技術を習得した。 こけしは昭和30年頃より作っており、昭和35年ころには仙… 続きを読む

佐藤雅雄

〔人物〕明治38年1月20日、宮城県弥治郎南69の木地業佐藤勘内、ふよの長男に生まれる。母ふよは白石の高子仁四郎の三女である。弟に稔、次雄、妹に一枝、すえ、なか等がいた。父勘内は明治40年7月に分家、一家は弥治郎北19に… 続きを読む