〔人物〕大正11年5月18日、山形県蔵王高湯の木地業能登屋岡崎栄作、ま川(まつ)の三男に生まれる。母ま川は斉藤忠治の長女で斎藤源吉の妹にあたる。岡崎嘉平治、ツエ、ヨシエ、嘉一、常雄、竹次郎、嘉代子の男四人女三人の七人兄弟… 続きを読む
〔人物〕大正11年5月18日、山形県蔵王高湯の木地業能登屋岡崎栄作、ま川(まつ)の三男に生まれる。母ま川は斉藤忠治の長女で斎藤源吉の妹にあたる。岡崎嘉平治、ツエ、ヨシエ、嘉一、常雄、竹次郎、嘉代子の男四人女三人の七人兄弟… 続きを読む
〔人物〕 昭和19年4月28日、遠刈田新地の木地業佐藤護・多美恵三男として遠刈田新地に生まれる。昭和35年3月遠刈田中学校卒業後、茨城県土浦で働いていたが、37年4月より白石市にある仙南交通(現宮城交通)の整備工場へ就職… 続きを読む
〔人物〕 明治18年9月23日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町19番地(現在の土湯温泉町)の木地業阿部熊治郎、コヨの長男に生まれる。タツ、キク、サツ、タヨの姉があり治助は第5子にあたる。弟に平治、新次郎がいたが… 続きを読む
〔人物〕昭和8年1月17日、京都の京染商水戸佐武郎の長男に生まれる。昭和19年、天童市田鶴町に移り、同23年高等小学校を卒業後、土産物店を始めたが、同時に山寺の叔父石山三四郎について木地を修業した。昭和28年、年期明け後… 続きを読む
〔人物〕昭和14年12月13日、宮城県大倉村の会社員有路源一の長男に生まれる。昭和30年17歳で山寺の石山三四郎に師事して木地の技術を習得した。昭和36年に独立し定義如来門前でこけしの製作を始め、また有路こけし店を開業し… 続きを読む
戸籍表記 佐藤應助。飯坂八幡屋の当主。明治23年12月三女くらに弥治郎の毛利丈助四男栄治が婿に入った。すなわち応助は佐藤栄治の義父にあたる。義太夫をやったり、踊りの師匠などをした。八幡屋の屋号は応助が飯坂の村社八幡神社の… 続きを読む
〔人物〕 明治43年3月27日、青森県中津軽郡西目屋村砂子瀬の三上作太郎の長男に生まれる。脚が悪かったので小学校卒業後、大鰐へ出て島津彦三郎の弟子となり木地を修業した。弟子入りの年代については、兄弟子の松岡新太郎が大正1… 続きを読む
〔人物〕 昭和18年9月19日、福島県土湯温泉杉の下の阿部芳市・マサの長男に生まれる。土湯峠近くの秘湯幕川温泉で水戸屋旅館を経営するが、冬季11月より4月まで雪のため休業するので、昭和50年ころ冬期間に阿部一郎について木… 続きを読む
〔人物〕 昭和45年7月15日、福島県土湯温泉の木地業渡辺和夫、信子のニ男に生まれる。戸籍表記は「渡邉」である。亨は子供の頃より、見様見真似でこけしの製作は行っていたという。学校法人電気学園福島高等学校を卒業後、電気関係… 続きを読む
明治5年5月15日、山形県飽海郡田沢村(昭和29年町村合併で平田町となる)小林の農家に生まれた。〈こけし辞典〉によると、「庄内大地震のあった明治27年に鶴岡市宝町に出て、兄平一郎と共に庄内杓子を作った。平一郎は庄内杓子の… 続きを読む