大宮安次郎

大宮安次郎(おおみややすじろう:1901~1952)

系統:蔵王高湯系

師匠:深瀬国雄/伊藤泰輔

弟子:大宮安光

〔人物〕明治34年6月17日山形県山形市双月に生まれる。大正3年学校を卒業後、山形市上山家の深瀬国雄に師事して木地の技術を学んだ。深瀬国雄(国男、国夫ともいう)に師事したのは安次郎の姉の夫が国雄の兄深瀬信義(信好ともいう)だった縁による。深瀬国雄は蔵王高湯の岡崎栄作の弟子となって木地に習熟していた。
安次郎は、主に薄荷入れなどを挽いていたが、こけしも作った。大正6年伊藤泰輔の世話により及位の文六らがいた落合滝の新及位製材所に入り、深瀬国雄らとともに働いた。さらに伊藤泰輔について東京八王子でも職人として働いたという。
大正10年ころには蔵王高湯の能登屋の職人となって働き、冬季は山形市印役に降りて木地を挽いた。夏季の蔵王では、能登屋だけではなく万屋、代助商店などでも働いた。昭和7,8年には銀山の伊豆定雄の店で遠藤幸三とともに働いた。
その後は双月に落ち着き、盆類、鉢類、机や椅子の脚、玩具、こけし等を作った。
戦後もロクロを動力に切り替えて、木地業を続け、昭和24年には長男の安光が木地の修業を始め、昭和27年には二男の正安がロクロに向かうようになった。
昭和27年6月11日に没した、行年52歳。

〔作品〕蔵王高湯時代、銀山時代のこけしは確認されていない。残っているのは昭和15年以降蒐集家の求めに応じて作った小数のこけしだけである。
残っている作品を見ると蔵王高湯の能登屋の様式を守っており、赤と緑の交互の重ね菊が基本となっている。頭は中剃りを赤く塗ったオカッパが多い。
下掲の深沢コレクション、西田コレクションの安次郎はいずれも下瞼を入れているが、下瞼のない一側目の作品もある。


〔13.6cm(昭和15年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション


〔 23.3cm(昭和15年12月)(西田記念館)〕 西田峯吉コレクション

大宮安次郎の型は二男正安、三男正貴によって復元された。

〔伝統〕蔵王高湯系

〔参考〕

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