鎌田悦子(かまたえつこ:1950~)
系統:弥治郎系
師匠:鎌田孝市
弟子:
〔人物〕昭和25年3月28日、宮城県白石市の鎌田孝市、うめの長女に生まれた。鎌田孝志は弟。
幼児期より病弱であった。
こけしは昭和44年3月から、父の孝市、母うめの木地に描彩をするようになった。
昭和45年に結婚したが、翌年夫は仕事中の事故で亡くなった。
文市が健在中は文市の木地に描彩し、また文市が高齢になって挽けなくなってからは、職人であった今井則男、浜津平三郎、菅野昭一、星定良などの木地に描いた。
昭和58年に寺崎心佐貢と結婚し、一男をもうけた。結婚して家を離れてからは、こけしの描彩をしない期間が続いた。
詩作も行い、詩集「永遠に」古き日記より(昭和57年4月宝文堂 仙台宝文堂)を出版したこともある。また短歌も作り、岩崎聡之介主宰の「パレット」に投稿している。
長らくこけし製作から離れていたが、令和4年になって一時的に描彩を行ったことがあり、名古屋こけし会や、東京こけし友の会70周年記念例会などで少数頒布された。
〔作品〕悦子名義のこけしは、ロクロ線は母のうめが色付していたが、ロクロ線以外の面描や花模様は悦子が描いたものであった。
〔右より 12.2cm、7.4cm(昭和47年)(橋本正明)〕木地は文市
こけしの描彩は昭和43年3月から昭和58年ころまでの期間で、それ以後は長く描彩から離れた。
昭和51年ころまでは鎌田文市の木地、以後職人の今井則男、浜津平三郎、菅野昭一、星定良の木地に描いた。
令和4年になって他の工人の木地に描彩のみ行ったことがある。矢田正生の尽力により名古屋こけし会で頒布された。何年振りかの描彩であったが、筆の衰えは感じられない作品であった。
〔右より 15.5㎝(令和4年1月)、21.7㎝、24.4㎝(令和4年4月)、21.7㎝(令和4年7月)(橋本正明)〕
下掲載は令和5年8月東京こけし友の会70周年記念例会の懇親会で矢田正生出品で頒布されたもの。
〔伝統〕 弥治郎系栄治系列
〔参考〕
- 矢田正生:鎌田悦子のこと〈木でこ 238号〉(令和3年9月)
- 矢田正生:寺崎悦子の復活こけし(書有生小花誌)(令和6年4月)