鎌田孝市

鎌田孝市(かまたこういち:1925~2004)

系統:弥治郎系

師匠:鎌田文市

弟子:鎌田うめ子/鎌田孝志/鎌田悦子

〔人物〕  大正14年2月10日、鎌田文市・さくよの長男として、宮城県白石市新町に生まれた。この年、一家は新町より白石市長町に転居した。孝市は昭和14年4月ころより、父文市について木地挽きの修業を始め、こけしもこの頃より作り始めた。昭和14年8月、米浪庄弌刊行の〈こけしだより〉にはじめて紹介された。
昭和18年4月、宮城県柴田町の海軍火薬工廠に応徴。同19年1月、現役入隊。同20年9月に復員した。昭和20年10月より木地挽きに従事する。
昭和23年10月、それまでの足踏みロクロを動力に切りかえた。 昭和27年に長町から白石市堂場前に移ったが、戦後は一貫して自宅作業場でこけし製作を続けた。
農業大庭太平の長女うめ子と結婚、昭和25年に長女悦子、昭和28年に長男孝志が生まれた。昭和42年頃より妻女うめ子、昭和44年頃より長女悦子もこけしの描彩を始めた。昭和49年末からは長男孝志に木地を指導、一家でこけしを製作するようになった。昭和59年に父文市が亡くなった後は白石の鎌田一家の中心としてその伝統をまもった。 
平成16年6月10日没、行年80歳。

右:鎌田孝市 左:鎌田文市 昭和37年 露木昶撮影
右:鎌田孝市 左:鎌田文市 昭和36年 露木昶撮影


東京実演 鎌田孝市 昭和56年 武田利一撮影

〔作品〕 こけしは父文市からの継承で、その時代時代の文市の作と非常に近い作品を残した。極初期の作例は深沢コレクションに小寸作りつけ(ぺっけ)が残っている。

〔10.0cm(昭和15年頃)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔10.0cm(昭和15年頃)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

下掲の鈴木鼓堂旧蔵品もほぼ同時期、16歳と記入があり昭和15年の作である。この頃から既に一定の完成度を示していた。


〔30.6cm(昭和15年)(ひやね)〕 鈴木鼓堂旧蔵 16歳の記入あり

作風は非常に素直で、下掲昭和17年の作のように、作意のない自然体のこけしであった。

〔18.5cm (昭和17年)(橋本正明)〕
〔18.5cm (昭和17年)(橋本正明)〕

昭和40年代になって、父文市の古い型を研究して作る様になった。特に小寸のものに完成度の高い作品が多い。こうした古作の研究が後の鎌田一家の財産となり、妻うめ子、長女悦子、長男孝志、孝志の妻女美奈枝の作品に継承された。

〔右より 15.5cm(昭和44年6月)、15.5cm、13.0cm(昭和46年)(橋本正明)〕
〔右より 15.5cm(昭和44年6月)、15.5cm、13.0cm(昭和46年)(橋本正明)〕

系統〕 弥治郎系栄治系列

〔参考〕

 

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