佐藤養作

佐藤養作(さとうようさく:1909~1988)

系統:鳴子系

師匠:高橋武蔵

弟子:

〔人物〕明治42年1月24日、宮城県栗原郡金田村の農業佐藤養右衛門、ハナの長男に生まれた。母ハナの実家白鳥家は鳴子高橋亀三郎の娘を引き取り育てた縁があり、養作は高等小学校を中退すると鳴子の高橋武蔵について木地を習得した。高亀には大正12年に入り年期明け後職人として勤めたが、昭和7年天野正右衛門を頼って山形県東根に移り、転業して旅館山水館の番頭になった。昭和10年からは輸送会社のトラック助手となり、昭和17年社名が第一荷物と変更した後も停年になるまでここで働いた。戦後蒐集家の描彩を川上克剛が天野正右衛門の聞書から養作の所在をつきとめ、停年になる昭和42年まで待って描彩の復活をすすめ、同年11月に会田栄治の鳴子型木地に描いた復活第一作を紹介した。以後、蒐集家の橋本正明と宮藤凉一が相次いで訪ね、秋山忠市木地に描彩をさせた。
養作の名は〈こけしの微笑〉時代より知られていたが、作品が確認されたのは〈こけし手帖・93〉が最初である。
昭和63年11月14日没、行年80歳
 

佐藤養作 昭和43年3月

〔作品〕天童会田栄治木地の作と鳴子秋山忠市木地の作が知られている。川上克剛の努力により会田栄治木地のものが多く作られ、東京こけし友の会例会で抽選頒布された。一筆目と二筆目がありそれぞれの趣をもっている。高亀式の重ね菊が多く、胴の下に土を描く古い様式をそのまま伝えている。こけしから類推すると兄弟子の佐藤乗太郎の影響も考えられ、正末昭初の高亀を伝える貴重なこけしである。


〔右より 20.0cm(昭和43年3月)忠市木地、10.5cm(昭和44年5月)会田木地(橋本正明)〕


〔右より 17.5cm、17.8cm(昭和44年5月)会田栄治木地、18.0cm(昭和44年7月)(橋本正明)〕


〔右から 21.8cm、21.7cm(昭和45年)(橋本正明)〕

〔伝統〕鳴子系直蔵系列

〔参考〕

  • 橋本正明:佐藤養作〈こけし手帖・93〉(昭和43年12月)
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