高橋義一(たかはしよしかず:1951~)
系統:鳴子系
師匠:高橋盛雄
弟子:
〔人物〕 昭和26年9月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷の高橋松子(戸籍表記まつを)の長男に生まれる。母松子はその父高橋盛とともに一家で秋田に移って、戦争中をその地で過ごした。秋田時代に結婚し、長女正子を生んだ。昭和25年の冬、一家は鳴子に戻り、翌26年に義一が生まれた。
昭和42年17歳のとき、伯父の高橋盛雄について木地の修業を始めた。高勘の職人としてこけしの下木地を挽いていたが、昭和57年頃より自分のこけしを製作するようになった。それ以後こけしは継続的に製作している。高橋正子は姉、高橋輝行は正子の夫で、義一の義兄に当たる。
川渡駅から川を渡った玉ノ木に工房を構えて独立、高勘の伝統を受け継いで、勘治型、けさの型などを作る。
〔作品〕高橋勘治は義一の曽祖父に当たる。右端は有名な大寸物の勘治作(日本こけし館、西田記念館にそれぞれ一本づつ現存している)を復元したもの、おそらく雛壇などの飾られたもので、子供の玩具と言うよりは上手物の人形として扱われたものと思われる。鬢も角髪(みずら)で御所人形などとも通じる様式を用いている。気品、重量感共に良く再現できている。
〔30,3cm 、30.3cm(平成11年)(高井佐寿)〕 右は勘治型
下掲二葉は、米浪庄弌旧蔵の古鳴子を復元したもの。8寸は大沼けさのの作を復元したものである。けさのは高橋勘治の姉にあたる。
もととなった古鳴子は明治期の蒐集家佐野健吉が所蔵し、米浪庄弌の手に渡ったもの、明治30年代の作である。
義一の復元作はよく古鳴子の様式を把握して、破綻のない作品に仕上がっている。
〔右より 24.2cm けさの型、17.7cm((平成18年11月)(庄子勝徳)〕
〔右より 18.0cm、24.3cm けさの型、11.2cm(平成19年)(ひやね)〕 米浪庄弌旧蔵三種
下掲の勘治型は平成28年9月の全国こけし祭り出品作、天理参考館蔵の勘治を参考にしたと思われ、従来の角髪(みずら)を描く大寸物の勘治とは一味違った新鮮な作風であった。
〔 24.0cm(平成28年)(大崎市)〕 全国こけし祭り出品作 勘治型
〔系統〕 鳴子系利右衛門系列
高橋勘治ー盛ー松子ー義一と続いた高勘の系譜。
〔参考〕