濱島静波


「郷土秘玩」第1巻第1号、昭和7年4月より

濱島静波(本名茂平)は昭和初年から戦前にかけて名古屋で活躍した玩具人。
明治34年1月30日に、名古屋市西区伊倉町に生まれた。子供好きで大正10年頃から近所の少年たちを集めて、学習指導をしているうちに、中等学校入学予備校の塾となり、150人程の生徒が集った。その濱島教室の隣部屋にはおもちゃ屋としか思えぬほどに玩具類を並べ、二階部屋には芝居趣味の蒐集品を数多く蒐めていた。子供好き、おもちゃ好きの生活態度は実母を早く亡くした関係だったかもしれない。
玩具界の安藤舜二によると濱島静波は極めて明るい性格で、大きな声ではしゃぐことから、近所の人からひそかに「石橋薬鑵」と呼ばれていた。石橋の上をガラガラと薬鑵(やかん)を引きずり回すほどの大声と言われていたようである。当時濱島の伯父で、洋紙店を営んでいた平出某は、岐阜県多治見税務署長の鬼頭鑑太郎にその性格を相談したところ、せめて静かな波のような性格になってくれればという考えから勧められた「静波」という雅号に決まったという。
大正15年12月妻の静子を娶り、名古屋放送局開設者の神野金之助、富田重助との縁続きであった関係から昭和3年5月より名古屋放送局に勤務し始めた。以来10数年に渡り、同局で文化事業に携わった。郷土玩具の話として有坂与太郎、川崎巨泉画伯が出演して、キツネの郷土玩具の話等を行う放送番組を企画した。
昭和7年6月発行の〈郷土風景・郷土玩具号〉には、「移動 郷土玩具座談会 名古屋郷土玩具蒐集家を集めて」の記事があり、中京地区の出席者5名は、富田一二、岡本六出、伊藤蝠堂(吉兵衛)、松岡香一路(嘉一郎)、濱島静波である。名古屋の玩具熱が高揚したのは、大正7年に生まれた吉馬会からであるという。


昭和7年6月発行の〈郷土風景・郷土玩具号〉

濱島静波は昭和2年頃から『大供玩具研究会』、『名古屋集納趣味会』等を作り、〈お鷹ぽっぽ〉昭和2年2月、〈集納趣味〉昭和2年4月より18冊(多納趣味会、濱島を中心として名古屋の趣味人を総動員した雑誌)、〈おもちゃ新聞〉、〈名古屋のおもちゃ〉昭和6年、〈風車〉昭和6年より10冊(玩具誌で土鈴、お雛様、天神様などの記事が多かった)等の活動を行った。その後四光会の活動に入り、昭和7年ごろから郷土玩具の頒布を盛んに行なっていたらしく、また昭和8年に名古屋鉄道常滑線新舞子に人形塚の建設を行った。これは饅頭喰い人形(石材)で現在は駅北、踏切脇、線路と南部交番の間(⇒現在の饅頭喰い石像)にあるが、当時は海岸近くの松林の中にあった。


人形塚:饅頭喰い人形 (常滑線新舞子)

昭和9年1月の案内状によれば、「芝居十二月鈴 名古屋四光会洲崎神社ニ於テ」とあり歌舞伎に因む12ヶ月の土鈴を限定100組作り、名古屋四光会(伊藤蝠堂、濱島静波、吉野愛玩人、松岡香一路)の名前で配ったりした。

「愛玩」昭和10年9月より

濱島静波、松岡香一路 所蔵のこけし

さらに昭和13~14年頃に、村手春風、加藤春樓、鈴木鼓堂の3名が加わったようだ。またその後『七玩会』を作った。そのメンバーは濱島静波、村手春風、鈴木鼓堂以外は田耕、薫風、宣春、至郎の四人とされるがその詳細は良く判っていない。
濱島は石井真之助あての昭和14年10月の書簡で「この夏ご苦心御蒐集のこけしを拝見するに及んで~こけし熱が急に昇昂~現在はその熱に浮かされております。あの時それ程は感染していなかった蝠堂(伊藤)さんや私もその後この菌に冒されまして今ではもう収拾つかない病人になりました」とあり、重品あればぜひ里子にと30工人の名前を書き依頼している。
昭和16年8月19日、名古屋中央放送局業務課係長であったが、心臓麻痺のにより自宅で逝去した。行年41歳。
同年11月松岡嘉一郎(香一路)、伊藤吉兵衛(蝠堂)により追悼誌「追慕」が発刊された。また一周忌に刊行された「志のひ艸」によって全国の郷土玩具愛好者の思い出追慕を知ることが出来る。四光會の松岡香一路、伊藤蝠堂は連名で、『不世出の玩具人静波濱島茂平大人を慕う』として「人生五十年長きに非ざるに、四十有二年にして鬼籍に入る、実に早逝と云うべきなり。然れども天与の性格を発揮して遺憾なく、未完成なりといへどもその蒐集に、研究に、ゆくとして可ならざるなかりし吾等の玩具院靜居士の遺跡、追慕の念限りなく、既に周り来る猛暑の命日も過ぎて、黄泉の門扉を開き俗世と結ぶ秋の彼岸会を迎えて、吾等静波玩兄を慕ひ涙あらたなるを覚え、此処に経典一巻に心をこめて慰霊すると共に、玩兄の在りし日を偲ぶべく小誌を輯して永く久しく偉大なりし事績を期界に伝えんとす。仏も照覧あるべしと合掌す。」とある。

多年苦心して集められた故人の郷土玩具は、空襲で完全に焼失してしまった。

〔参考〕

  • 〈旅と伝説・92号〉昭和10年8月に「東海地方の玩具伝説」を寄稿
  • 昭和13年5月の〈鯛車・69号〉に「故濱島静波三周忌法要 八月一五日、大阪天王寺引聲堂に於いて営む。京都より木戸忠太郎氏参列」の記事がある。
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