明治 42年に集古会の会員の中で、清水晴風、林若樹、久留島武彦、坪井正五郎、西澤仙湖など特に人形玩具を愛好するメンバーによって 結成された集まり。
人形玩具に関する知識の交換を目的とした小さな会で、会合も会員の自邸の持ち回りで行われてた。
その初期の集まりは下記のようなものであった。
回 | 開催日 | 開催場所 | 参加者 | テーマ |
1 | 明治42年5月 | 西澤仙湖宅 | 西澤仙湖,清水晴風,久留島武彦,水谷幻花,石倉米豊,久保佐四郎,磐瀬玉岑 | 「人形の類別を正し,各地の名称を調査して兼ねて同趣味間に於ける一定の名義を立つる事」 |
2 | 明治42年11月 | 清水晴風宅 | 清水晴風,西澤仙湖,久留島武彦,水谷幻花,石倉米豊,廣瀬辰五郎,宮沢朱明 | 「御所人形」の命名 |
3 | 明治43年1月 | 林若樹宅 | 林若樹,坪井正五郎,和田仙吉,久保田米齎,西澤仙湖,清水晴風,内田魯庵,幸田成友,久留島武彦,磐瀬玉岑,廣瀬辰五郎,宮沢朱明,赤松範一,三村清三郎,岡田村雄 |
子どもの唄(ちん,わん,ねこ,にゃあ,ちゅうなど,子ども特有の擬音や言い回しについて),土焼の玩具 |
4 | 明治43年2月 | 清水晴風宅 | 清水晴風,西澤仙湖,林若樹,廣瀬菊雄,フレデリック スタール(Frederick Starr) |
天神講,寺子屋等について |
5 | 明治43年4月 | Frederick Starr宅 |
Frederick Starr,清水晴風,西澤仙湖,宮沢朱明,久留島武彦,淡島寒月,廣瀬辰五郎,竹内麟也,梶原通訳 | 屋外遊戯(羽根つき,竹馬,独楽など) |
6 | 明治43年8月 | 清水晴風宅 | 清水晴風,久保田米齎,林若樹,岡田村雄,廣瀬辰五郎,西澤仙湖 | 晴風還暦賀会の打ち合わせ |
その後も、毎年1回各人が所持する人形類を持ち寄って展覧会を開催し、その年内に人手した逸品を競い合った。大正7年からは機関紙〈大供〉の発行も行った。活動メンバーの多くは集古会と重複しており、〈大供〉刊行前は〈集古会誌〉に大供会談話として会の記録を載せていた。
さらに大供会は人形逸品会(一品会)を開催することになり、第一回を明治44年11月東京神田の青柳亭で開催した。西沢仙湖・清水清風・林若樹が幹事となり、人形を土製・木彫・型技き・雛の四部に分けて展示した。第二回以降は三越で開催しており、三越の武田真吉が中心となって大正元年12月から大正8年にわたって開催を続けた。この企画には、坪井正五郎・宮沢朱明・巌谷小波・淡島寒月・片岡平爺・粟島狭衣・松居松翁・市川三升・池田天釣居・内田魯庵・バーナード リーチ(Bernard Howell Leach)・平沼亮三・山村耕花・豊泉益三・水谷幻花・中村鷹次郎ら各界趣味家が加わって、明治から大正期の人形愛好運動として定着した。
百貨店としての三越は明治41年に子供部を新設し、明治42年から大正10年にかけて計9回の児童博覧会も開いている。また三越の児童用品研究会や流行会に大供会のメンバーが参加していた縁にもよる開催でもあったが、三越にとっては新たな購買層の開拓という意味があった。一方で、会場が百貨店となったことで、限定的であった大供会の趣味は広く百貨店の顧客である新中間層にまで直接伝えられることになった。
大正2年に清水晴風と坪井正五郎が、大正3年に西澤仙湖が亡くなったが、この展覧会は八回(大正8年)まで続いた。一旦中絶後、昭和12年にその復活第一回展が開かれたらしい。
なお、機関誌〈大供〉(片岡平爺編集)を発行(大正7~10年)し、その発刊の辞には、「冥土の旅の一里塚と一休和尚にケチをつけられた門松も、之を潜る者の心掛によっては、後へかへって子供に成れること、道中双六の賽の目の如し。即ち、我等大供は、歳と共に気を新たにして、節分の豆の一粒毎に一節の皺を伸ばさんと、さてこそ、同志相語らって、泣かずに遊ぶ会を結びぬ」とある。
〔参考〕
- 山本武利・西沢保:〈百貨店文化史〉世界思想社(平成11年)
- 神野由紀:消費における趣味の大衆化〈国立歴史民俗博物館研究報告・第 197 集〉(平成28年 2月)
- 木人子室:木人子閑話(26)百貨店の「児童博覧会」