第2回内国勧業博覧会

明治10年に開催された第一回内国勧業博覧会に引き続いて、明治14年3月1日から6月30日にわたって上野公園で開催された二回目の内国勧業博覧会。西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による正貨流出等による不況下で開かれた博覧会であったが、出品数は第1回の4倍にも増え、入場者数82万人等ほとんどの分野で第1回の内国勧業博覧会の規模を凌ぐ結果となった。

第2回内国勧業博覧会錦絵

この博覧会には、土湯および津軽から、こけし関係の木地工人の出品もあった。


第2回内国勧業博覧会出品目録 福島県土湯

福島県
腰高盆 槻 信夫郡土湯村 阿部國松  上同村  阿部栄七
  ○茶入 槐 ○菓子入 槐  ○三ツ椀 三黄楊
食籠 槐                〃   阿部吉彌
  ○茶碗 槐 ○行厨
吸筒 槐                〃   阿部與五平
  ○筆立 槐 ○香盆槐 ○杯
棗茶入 槐               〃   佐久間浅之助
  ○菓子入  ○燭台  ミネバリ
棗形茶入 槐              〃   西山濱吉
  ○茶入 山毛欅 ○薬味入 山椒 ○徳利袴 山黄楊

これでわかるのは蔦屋家督であった阿部栄七が出品者であった。木地製品の製作者は兄の阿部國松であったことがわかる。阿部吉彌(吉弥)は松屋分家(下の松屋)で熊治郎・常松・末松の父、治助・新次郎・福松・常吉は孫になる。扇屋阿部與五平は阿部仙太郎の父、西山濱吉は弁之助の父である。土湯の工人たちも木地製品を本格的に生産していて、こけしは余技に作っていたことがわかる。
また、秋田県からは雄勝郡川連の漆器商高橋利兵衛から、朱塗鐘、青漆塗徳利、朱塗吸物椀、内朱吸物椀、黒内朱吸物椀、木砂鉢、会席膳等の出品があった。


第2回内国勧業博覧会出品目録 澤田九郎兵衛

青森県
香合             大鰐    澤田九郎兵衛 

青森県津軽では澤田九郎兵衛が製作者であり出品者であった。

〔参考〕

  • 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)
  • 第2回内国勧業博覧会

 

 

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