鈴木三吉(すずきさんきち:1855~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤茂吉
弟子:
安政2年ころ宮城県栗原郡築館町玉沢に生まれた。34歳(明治21年)ころ、中年になってから青根の丹野の工場にいた佐藤茂吉の弟子になった。茂吉のもとで1年たらず修業したが蔵王高湯の斎藤藤右衛門の要請で半途職人のまま、阿部常松と共に蔵王高湯へ移った。藤右衛門は店に二台のロクロを据え付け、常松や三吉にこけしやえじこの他に独楽、臼、煙草入れなども作らせた。最初は珍しいこともあってよく売れたが、だんだん売れなくなって採算が取れなくなり、1年半ほどたって工賃の値下げを藤右衛門が切り出すようになったので、三吉は再び山を越えて青根に戻り、やがて新地で木挽を始めたという。この間の事情は、菅野新一著〈蔵王東の木ぼこ〉に詳しい。その後の消息は一切不明である。作品は未確認である。しかし〈蔵王東の木ぼこ〉によると、蔵王高湯の斎藤藤右衛門は高湯のみやげ品としてこけしを考え、青根より職人を招いたとあるから、当然三吉も常松と共にこけしを作ったであろう。作品は未確認である。