斎藤藤右衛門

蔵王高湯の萬屋の当主。萬屋は元来豆腐屋であったが、その当主であった藤右衛門は蔵王の酒を、山を越えて仙台地方に売りに行っていた。その帰りに遠刈田、青根の木地製品を仕入れて、蔵王高湯の湯治客の土産物として売っていた。ところが明治20年ころから、競争相手であった能登屋では次男岡崎栄治郎を青根の佐藤久吉のところへ行かせて木地技術を学ばせ、蔵王で生産させるようになった。そこで藤右衛門も明治22年7月に青根を訪れて佐藤茂吉に職人を依頼した。その結果鈴木三吉、阿部常松の2名が萬屋へ来てこけしを作り始めた。この2名は約一年半ほどして蔵王を去ったが、その後大正年間にかけて萬屋には佐藤重松、文平、周治郎、直助、松之進、我妻勝之助、吉田仁一郎、遠藤幸三、草刈目吉などの職人が来て働き、蔵王木地業に大きな位置を占めるようになった。藤右衛門の死後は藤助が萬屋の後を継いだ。


蔵王高湯

〔参考〕

 

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