笹沼兼吉

笹沼兼吉(ささぬまかねきち:1874~1938)

系統:山形系

師匠:小林倉治/阿部常松

弟子:竹野銀次郎

明治7年10月7日、山形市旅篭町の小林倉治二男に生まれた。南山学校(寺子屋)で学んだ。幼少のころから父倉治について木地を修業した。こけしが上手で盛んに作ったという。明治24年、阿部常松が一人挽轆轤の技術を伝えたが、明治26年常松を頼って家を出て、温海に行った。その後鶴岡で4~5年、湯野浜で2年ほど木地業に従事し、こけしも作った。この頃ので弟子に竹野銀次郎がいる〈鴻・3〉。明治31年、東村山郡大郷村(現 山形市)笹沼喜兵衛の長女ハルと結婚した。明治36年に同人の養子となった。その後、半年ほど小野川で働いたことがある。山形市七日町勧工場で玩具店を開いたのは大正の初めで、以後亡くなるまで営業を続けた。晩年に玩具店をやっていたが木地は挽かなかったのでこけしは全く残っていない。昭和13年10月21日没、行年65歳。

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