タグ別アーカイブ: 大沼新兵衛

後藤希三

〔人物〕  明治41年7月19日、宮城県玉造郡鳴子町の後藤久米治郎・しをの二男に生まる。幼少のころから大沼新兵衛の家で育ったため、戦前は大沼希三として知られていた。鳴子小学校を卒業後、鳴子木地講習所(宮城県工業… 続きを読む

鈴木庸吉

〔人物〕  明治15年11月1日、宮城県加美郡宮崎村に生まる。母は鳴子の高野幸八の姉。明治29年15歳で鳴子に移り、叔父幸八のもとで木取りや漆塗りを手伝っていたが、 明治31年17歳の夏より幸八について一人挽き… 続きを読む

佐藤文六

〔人物〕  明治13年3月28日、遠刈田新地佐藤文吉・とらの三男に生まる。父文吉は吉郎平家の出身(佐藤友吉の弟)、母とらは佐藤久蔵の姉にあたり、佐藤干代吉の夫婦養子となった。佐藤茂吉は義兄、佐藤円吉、佐藤丑蔵、… 続きを読む

尾形政治商店

明治33年ころから昭和25年ころまで山形県最上郡大蔵村肘折温泉で営業し、土産物、木地製品、玩具、こけし等を扱った商店。昭和4年までは木地工場も経営し、多くのこけし工人がここで働いた、 尾形政治は、慶応元年山形県飽海郡南平… 続きを読む

丹野勝次

明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む

山口収一

〔人物〕大正11年6月21日生まれ。長く教員を務め中学校の校長となったが、昭和51年55歳で停年退職した後、楯岡の東沢公園内の工房でこけし製作をしていた土谷幸作に師事して、こけし製作を習得した。平成元年には山形県こけし工… 続きを読む

海老名一郎

〔人物〕昭和22年1月24日、山形県村山市楯岡の公務員海老名米次郎の長男に生まれた。平成3年45歳より楯岡の東沢公園内の工房でこけしを作っていた土谷幸作に師事して木地の技術を習得した。平成8年10月より自分のこけしを発表… 続きを読む