タグ別アーカイブ: 小林吉太郎

堀義美

〔人物〕大正8年5月2日、山形県米沢市芳泉町の堀実、しんの長男に生まれる。父の堀実は小林吉太郎と親しく付き合ううちに、自然に木地の技術を習得した。義美は父について木地の技術を学んだ。こけしは昭和17年頃に極少数製作した。… 続きを読む

長谷川正司

〔人物〕 昭和12年2月20日山形県南置賜郡三澤村小野川の商業長谷川正智・とみの四男として生まれる。昭和27年三沢東部中学校卒業後、小野川温泉岡崎直志方の工場を間借りして営業していた義兄の藁科茂に弟子入りし新型こけしの木… 続きを読む

黒田うめの

〔人物〕 明治42年1月17日、山形県南村山郡柏倉門伝村の農業辰野梅次の四女として生まれる。昭和2年米沢市玉ノ木町に住んでいた木地師黒田精四郎(南村山郡滝山村元木の村上元吉弟子)と結婚した。精四郎は昭和10年より市内信濃… 続きを読む

小林清次郎

〔人物〕 大正7年7月14日小林吉三郎二男として山形市旅籠町の小林倉治一族の家で生まれた。生後間もなく吉三郎一家は鍛冶町にあった佐藤小治郎(小林倉吉の弟子)の家を借りて独立したので、清次郎は鍛冶町の家で成長した。昭和5年… 続きを読む

高崎栄太郎

〔人物〕 明治33年1月30日、高崎栄吉の長男として山形に生れた。米沢で木地業を営んでいた高崎栄一郎は弟である。父の栄吉は山形歩町の傘屋の元祖であったが、後に服屋となった。 栄太郎は家業の服屋を継ぐのがいやで大正2年、1… 続きを読む

赤湯

山形県南陽市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。 開湯は約900年前、源義家の弟、源義綱が発見したとされる。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから、赤湯と呼ばれるようになったと… 続きを読む

宮島重昭

〔人物〕 昭和4年10月20日、裁判所事務宮島某長男として米沢駅前に生まる。小学校時代より米沢の小林吉太郎に木地挽きを習っていたが、小学校卒業後、米沢航空工場(職長:小林吉太郎)へ入所し本格的に木地を挽くようになった。昭… 続きを読む

堀実

〔人物〕明治29年10月3日、農業堀吉太郎長男として山形県南置賜郡南原村芳泉(現米沢市)に生まれた。米沢興譲館高校卒業後、村役場の勧業係をしていたが、大正6年ころから、当時米沢にきた小林吉太郎と親しくなり、趣味にこけしを… 続きを読む

高崎美和子

〔人物〕昭和10年3月13日、山形県米沢市の農業佐藤芳美の次女に生まれた。昭和32年米沢の高崎祐一と結婚した。家業のこけし製作を手伝うようになり、昭和33年5月より舅の高崎栄一郎や夫の祐一の木地に描彩を行うようになった。… 続きを読む

高崎祐一

〔人物〕昭和8年9月11日、山形県米沢市のこけし工人高崎栄一郎の長男に生まれた。昭和24年米沢第一中学校を卒業し、直ちに父の栄一郎について木地を学んだ。その後一年間は夜間高校に通った。昭和32年佐藤芳美の次女美和子と結婚… 続きを読む