タグ別アーカイブ: 小椋養治

小椋初右衛門

秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む

小椋泰一郎

〔人物〕明治22年4月20日、秋田県雄勝郡高松村120(水上沢木地山)小椋養治、カヤの長男に生まれる。父養治は小椋勇右衛門の長男で、代々初右衛門を名乗った。カヤは小椋利左衛門(吉左衛門の長男)の長女であり、カヤの母ナツは… 続きを読む

小椋養治

安政3年8月15日、小椋勇右衛門の長男として、皆瀬木地山に生まる。養治の家は初右衛門本家で養治も後に初右衛門と呼ばれた。妻は勇右衛門の兄利左衛門娘カヤである。長男が泰一郎で、長女ヨシは佐藤留治に嫁し、佐藤兼一を生んだ。 … 続きを読む

佐藤留治

〔人物〕 明治4年秋田県小安温泉に生まれる。雄勝郡の水上沢より明治31年に川連大館におりてきた木地師小椋養治(小椋泰一郎の父)は、時々山仕事で小安の奥に入り、小屋をかけて椀木地を挽いていた。 留治はそうした折に養治につい… 続きを読む

佐藤兼一

〔人物〕 明治38年4月20日、秋田県川連大館八右衛門屋敷の佐藤留治、よしのの長男に生まれる。父の留治は椀挽き専門の木地師であったがこけし作者ではない。母よしのは小椋養治の長女で、小椋泰一郎の妹にあたる。 大正6年13歳… 続きを読む