佐藤吉弥

佐藤吉弥(さとうきちや:1896~1965)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤吉五郎

弟子:斉藤良輔/佐藤哲郎/斉藤やい子/佐藤せい子/佐藤みよ子

〔人物〕 明治29年11月6日、佐藤吉五郎長男として、遠刈田新地に生まれる。明治42年、父吉五郎や弟留吉、吉之助等と共に、新地の吉郎平家から分家して遠刈田温泉に移った。吉弥が木地を始めた時期については、佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉では明治43年14歳から、 〈鴻・第8号〉では明治45年16歳からと記述されているが正確な年次は明確ではない。ただ、木地業の家に生まれたから、幼少のころより吉五郎につき木地を学んでいたのであろう。こけしは大正3、4年ころから作り始めたという。大正10年北岡工場が出来ると吉五郎と共に短期間職人をしたが、すぐに白石営林署遠刈田担当区管内の人夫に転業した。昭和15年には松川砂防工事の人夫として働き終戦に至る。昭和21年、新地で弟吉之助がロクロを取りつけ木地を再開したので、吉弥も長男の哲郎と共にここで働いた。昭和25年に遠刈田温泉の自宅に新たにロクロを取りつけ木地を始めた。昭和27年からは娘婿の斎藤良輔が吉弥に弟子入りしている。昭和30年から伝統こけしを復活し、同31年には本格的に作り始め、翌32年には伝統こけしの店を開いた。昭和33年から斎藤良輔、その妻やい子、哲郎の妻せい子、昭和37年から娘みよ子等も吉弥に描彩の手ほどきを受け、その作品は吉弥一家のこけしとして広く知られるようになった。昭和40年6月1日没、行年70歳。

佐藤吉弥

佐藤吉弥夫妻

佐藤吉弥

佐藤吉弥

佐藤吉弥

佐藤吉弥

〔作品〕 修業時代のもの、大正期のものは残っていない。戦前の作品は昭和15年から16年にかけて友晴木地に描彩したものが残っているだけである。比較的整った作風で鋭角的な表情のこけしが多い。〈古計志加々美〉や 〈こけし 美と系譜〉に紹介されたものが代表的である。〈鴻〉掲載のものは戦前作としては表情がきつく剛直で、戦前の復活初作かもしれない。

〔20.6cm(昭和14年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔20.6cm(昭和15年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション 佐藤友晴の木地

〔右より 24.6cm、18.5cm(昭和16年)(西田記念館)〕 西田コレクション
〔右より 24.6cm、18.5cm(昭和16年)(西田記念館)〕 西田コレクション

戦後は昭和30 年に復活、自ら挽いたものは頭が横に広がり、肩も張っていてバランスがよい。表情は力強く剛直でいかにも吉郎平系列らしい。下掲の高井蔵品は昭和31年の作で復活初作に近い。昭和31年ころまでは同様の作風で、ピークといえる。このころのものはロクロ線の墨のものが多い。

〔24.0cm(昭和31年)(高井佐寿)〕

〔24.0cm(昭和31年)(高井佐寿)〕

昭和32年ころより肩がなで肩となり、ロクロ線も赤のものが多くなった。表情もやや甘くなり筆致も紬い。木地も長男哲郎のものが大部混じる。

〔右より 21.3cm(昭和32年)、14.7cm(昭和38年)(橋本正明)〕 
〔右より 21.3cm(昭和32年)、14.7cm(昭和38年)(橋本正明)〕

昭和36年ころより再び筆致は太くなったが、表情に力強さはなくなった。以後昭和40 年没するまで同様の作風であった。吉弥の小寸物作り付けは、形・描彩ともよく持ち味を出し佳品が多い。

系統〕 遠刈田系吉郎平系列

〔参考〕

[`evernote` not found]