高橋亀三郎

高橋亀三郎(たかはしかめさぶろう:1859~1924)

系統:鳴子系

師匠:高橋直蔵

弟子:高橋武蔵/佐竹辰吉/平塚弥三郎/早坂源治

〔人物〕 安政6年8月16日、鳴子湯元の木地業高橋直蔵・ときの長男に生まれる。祖父の直四郎の代は漆器商だったといわれるが、直四郎は若くして亡くなり万四郎が継父に入った。直蔵は、万四郎あるいは大沼又五郎について木地を学んだといわれている。なお万四郎夫婦には男子佐吉が誕生し、明治10年ころにかねての約束どおり川向こうの岩淵にある遊佐の株を譲り受けて遊佐佐吉となった。佐吉は亀三郎の義理の叔父に当たる。
亀三郎は父直蔵から木地を習った。こけしも直蔵からの伝承であろう。亀三郎の長男武蔵は祖父直蔵がこけしを描くところを記憶していると語っていた。
亀三郎は農業も行っていたようであるが、その合間に二人挽きで5寸から7寸の一筆目の素朴なこけしを作っていたという。おもちゃ類も亀三郎の代から作る様になり店に並べた。一人挽きに変えたのは明治30年ころといわれる。弟子としては、長男高橋武蔵のほかに、佐竹辰吉、平塚弥三郎、早坂源治などがいる。
大正13年7月12日(旧暦6月11日)没、行年66歳。
なお、鳴子の老舗「高亀」の名は、高橋亀三郎による。

〔作品〕
〔18.8cm(明治末~大正初)(高橋五郎)〕
〔18.8cm(明治末~大正初)(高橋五郎)〕 亀三郎説のある古鳴子

亀三郎の作と確実に判明しているこけしはない。写真掲載の作は高橋武蔵の極古い作品といわれているが、頭部の形状やシンプルな面描などから亀三郎説を支持する人もいる。平成6年に福島県三春町歴史民族資料館で開催された企画展「幻想のこけし」図録では、このこけしが本文では高橋武蔵名義で掲載、巻末の解説では「父亀三郎の説もある」として紹介された。
いづれにしても高亀の源流をしのぶことの出来る古品である。

系統〕 鳴子系直蔵系列