高橋盛

高橋盛(たかはしさかり:1890~1973)

系統:鳴子系

師匠:高橋勘治

弟子:高橋盛雄/遊佐福寿/高橋きくゑ/皆川元一/皆川たみ子/佐々木末治/佐々木久作/子野日幸助

〔人物〕 明治23年11月20日、宮城県玉造郡鳴子の高橋勘治・たんの次男として生まれた。明治37年15歳より父勘治について木地を修業し、16歳ころよりこけしを製作した。大正5年岩出山の森谷平治二女きくゑと結婚した。長兄丹右衛門は塗師となり会津へ去ったので、大正10年父勘治の死後も家業を続けた。大正12年新屋敷に移り、その後は岡崎・菅原・及川・沢口・佐々木の各商店に製品を卸していた。昭和2年38歳より昭和13年49歳まで中山平の鳴子木地工芸組合に通勤して大物の製作に従事、昭和14年1月より秋田の県立工芸指導所に入り木地の指導を行なった。工芸指導所は秋田市長土手町の秋田県物産館の二階にあり、本荘の皆川元一・佐々木末治、象潟の佐々木久作、横手の子野日幸助などが弟子となった。昭和20年より本荘の由利木工製作所に移り、弟子の皆川元一・佐々木末治・佐々木久作とともに木地業に従事、こけしも多く作った。昭和23三年に鳴子新屋敷141の自宅へ帰り、その後亡くなるまで高勘の主としてこけしの製作を続けた。長男盛雄は盛を助けて高勘を運営し、次男福寿は遊佐家へ養子に行った。
盛は〈こけし這子の話〉ですでに作者として紹介され、武井・橘時代に活躍した代表的鳴子工人の一人である。深沢時代には秋田へ移り、昭和23年再び鳴子へ戻ってからは高橋武蔵とともに戦後復興期の鳴子こけしを支えた。盛雄に木地を習った森谷和男、滝島茂、柿澤是隆なども、こけしの描彩においては盛に負うところが大きい。長男盛雄は発展家で他出することが多く、盛が弟子たちの木地に終日淡々と描彩を続けていた。蒐集家が来ると、描彩している座敷に通し、描彩の手を休めずに昔の話を聞かせてくれた。
昭和42年ころより病を得て休業し、その後こけしはほとんど作らなかった。
昭和48年11月22日没、84歳。

高橋盛 昭和39年
高橋盛 昭和39年

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高橋盛  昭和40年ころ

描彩する高橋盛 昭和40年
描彩する高橋盛 昭和40年9月

〔作品〕昭和13年以前の前期鳴子時代、と、昭和23年までの秋田時代、戦後の後期鳴子時代の三期に分類される。前期鳴子時代の作例は〈こけし這子の話〉〈木形子談叢〉〈こけしと作者〉〈古計志加々美〉〈美と系譜〉〈こけし鑑賞〉〈こけしの美〉などに多く紹介されている。黄胴で重量感に富む作風には独特の気格かおり、鳴子古来の風韻を残している。この時代の作品の多くは盛一家の合作になり、妻きくゑ・長男盛雄が製作に関与している。合作の鑑別は複雑で必ずしも絶対的と思われる指標はないが、数本の標本に関する鑑別例は〈古計志加々美〉で詳細に報告されている。秋田時代の作例はあまり文献で紹介されていない。秋田時代にも合作は行なわれ、特に由利木工ては女性専門櫛形者が数名いて盛名儀のこけしの描彩をした。後年皆川元一の妻となった皆川たみ子もその一人で、秋田時代の盛のなかにしばしばたみ子の描彩になると思われるものが散見される。それでも秋田時代の盛名義の作品は必ずしも多く残っていない。
後期鳴子時代は作品の数も多く、高亀・高勘時代の代表的鳴子こけしである。昭和27年より勘治型を復元、昭和40年には勘治一家の一連のこけしを復元した。後期鳴子時代の作例は〈美術出版社 こけし〉〈こけし・人・風土〉〈こけしガイド〉〈三彩社 こけし〉などに見られる。
下掲の西田コレクションの作品群は、昭和16年銀座の吾八の〈これくしょん・45〉で売りたてられた古鳴子で、大阪の筒井英雄から出たものと言われている。筒井郷玩店からは橘文策のもとに行った高橋勘治も出ており、この作品群も勘治一家といわれたり盛一家と言われたりする。
いづれにしても盛の父勘治は大正10年62歳で亡くなるまでこけし製作にはかかわっていたから、これらの作品群には勘治、盛、盛の弟勘四郎、盛の妻きくゑ等の手が加わっている可能性がある。


〔右より 12.7cm、14.5cm、20.0cm(大正期)(西田記念館)〕西田峯吉コレクション
 吾八にて入手

下掲8寸も吾八経由で筒井郷玩店から出たものであるが、橘文策のところへいった勘治とは面描が異なり、また胴模様の菊も後年の盛の描彩に見られるように大輪の花火のように描かれていることから盛の作と考えられる。

〔24.2cm(大正期)(西田記念館)〕 西田峯吉コレクション 吾八にて入手
〔24.2cm(大正期)(西田記念館)〕 西田峯吉コレクション 吾八にて入手

下掲の深沢コレクションは秋田転出前の典型的な盛の作品である。

〔24.5cm(昭和初期)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔24.5cm(昭和初期)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

戦後昭和27年には深沢コレクションの大寸の勘治を復元した。この勘治型は復元と言う新しいこけし製作の端緒となったもので、岡崎幾雄の栄治郎型、岩本芳蔵の善吉型と並んで、最初の復元の成功例となった。


〔 29.5cm(昭和39年12月)(橋本正明)〕

昭和40年代には下掲のような盛一家の小寸旧作も復元している。

〔右より 15.2cm、15.2cm、15.2cm、15.0cm(昭和40年9月)(橋本正明)〕
〔右より 15.2cm、15.2cm、15.2cm、15.0cm(昭和40年9月)(橋本正明)〕

〔伝統〕 鳴子系利右衛門系列。 後継者に高橋盛雄、遊佐福寿、高橋松子らがいる。また高勘で職人として働いた盛雄の弟子たちもその系譜を継いだ。

〔参考〕

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