常川雄三郎

常川雄三郎(つねかわゆうさぶろう:1922~)

系統:南部系

師匠:常川新太郎

弟子:

〔人物〕大正3年7月3日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄の三男に生まれた。長兄は新太郎、次兄は潤次郎、弟に秀雄、左吉雄がいた。長兄の新太郎より木地を学んだ。昭和11年に遠野の菊池町長の招聘で一家は遠野材木町に移住した。遠野では菊地町長が見本として示した花巻の藤原政五郎のこけしを参考にしてこけし製作を始めた。一家で木地を挽いたが、描彩はすべて雄三郎が行った。描彩は藤原政五郎のものを参考にした。完成したこけしは新太郎の名義で出されていた。
のちに雄三郎は、遠野市東館町で独立した。
戦後も新太郎のこけしの木地は挽き続けたが、昭和56年に新太郎が亡くなり、息子の正義がこけしを作るようになると、雄三郎も本人名義のこけしを作るようになった。
 


常川新太郎、潤次郎、雄三郎、秀雄兄弟 (水谷泰永撮影)

〔作品〕花巻の藤原政五郎のこけしをもとに、やや当世風にアレンジしたこけしであった。木地は一家で挽いているので誰のものか判定は困難であるが、頭部の描彩は概ね雄三郎である。


〔右より 12.6cm(昭和14年頃)(目黒一三)、13.1cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)〕 左端は鈴木鼓堂旧蔵 新太郎名義

〔伝統〕南部系

常川新太郎の次男正義がこの様式のこけしを継承した。

 

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