集古会

集古会は明治29年1月上野韻松亭の集まりからスタートし、以来昭和19年まで続いた趣味人同好の会である。会の目的は古器物を持ち寄り、彼我打ち解け、話し合うと言うことであった。この会には何回かこけしも持ち寄られて展覧に供せられたことがある。

集古会は東京帝国大学の坪井正五郎教授が旗を振り、研究室の若手だった八木奘三郎や林若樹が実務を担当して始まった。当初は人類学・考古学が中心であったが、「市井の好事家も加えた方が面白いだろう」という坪井の発案で玩具の蒐集家だった清水晴風に声をかけたところ、その仲間がこぞって集古会に加わり、考古学を中心とした石器や土器の学問的な蒐集から、玩具といった趣味的なものまでその対象が大きく広がっていった。集まりの各回に持ち寄られた文物は〈集古会誌〉に詳しく記録された。

左から第一輯、第参輯、第弐輯  表紙圖案:岡田村雄     表題:磯野蛙巣
左から第一輯、第参輯、第弐輯
表紙圖案:岡田村雄 表題:磯野蛙巣

こけしの持ち寄りが記録されたのは、明治33年3月の〈集古会誌〉で第26回の「人形扁額」に清水晴風出品の「一ノ関コケシボウ陸中一躯」があり、また明治36年3月の〈集古会誌〉に第41回出品目録(明治36年1月10日開催)の「内外遊戯品之部」」があって、林若吉出品として「奥州一ノ関 こけし古製こけしおぼこ一個」の記載がある。さらに明治37年甲辰巻之三に第47回出品目録(明治37年3月12日福田屋開会)の「課題 人形類」があり、清水晴風の「磐城国双葉郡浪江町コケシヲボコ」と、山中笑の「奥州一ノ関こけし人形」の出品の記載がある。

明治37年甲辰巻之三

明治37年甲辰巻之三

このうち、清水晴風出品の「一ノ関コケシボウ陸中一躯」は〈うなゐの友〉初編あるいは貮編にのった一ノ関こけしと思われる。初編のものであれば花筐コレクションの宮本惣七、貮編であれば輪入りの一ノ関こけしであるが作者はわからない。
林若吉(林若樹)出品の「奥州一ノ関 こけし古製こけしおぼこ一個」は明治39年11月1日から25日まで京都市岡崎町博覧会館で開催された「こども博覧会」にも清水晴風名義で出品され、その記念号として明治40年3月に発行された京都市教育会会報に写真掲載された。それは林若樹から深沢要の手に渡り、現在「日本こけし館」に収蔵されている大沼甚四郎作のこけしであった。
もう一本の清水晴風出品「磐城国双葉郡浪江町コケシヲボコ」は考古学者の大野雲外(延太郎)が浪江で入手したもので大野延太郎から清水晴風の手に渡り、〈うなゐの友〉に紹介されたものだった。清水晴風の没後、林若樹の手を経て西田峯吉の手に渡り、現在では「西田記念館」に収蔵されている。遠刈田の古い作者佐藤重松の作ではないかといわれている。
山中笑(共古)の「奥州一ノ関こけし人形」については消息不明である。

〔参考〕
1. 蒐集家という人々
2. 集古会の始まり
3. 集古会の人々

 

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