近野明裕

近野明裕(こんのあきひろ:1950~)

系統:土湯系

師匠:佐藤佐志馬/佐藤久弥

弟子:今泉潮音

〔人物〕 昭和25年8月16日、福島市の土地家屋調査士 近野一男の二男に生まれる。 高校を出てから、市の職員を2年勤め、その後上京して法政大学文学部に進学、昭和51年卒業後は福島に戻り、商工会議所に勤務した。こけし工人渡辺義雄(篠木利夫の弟子)は父一男の従兄弟に当たるが、その義雄の勧めもあり、昭和57年9月より土湯の佐藤佐志馬の家に行って木地の修業を始めた。ただし、そのころ佐志馬は殆ど木地を挽いていなかったので、技術は佐志馬の婿養子佐藤久弥について学んだ。近野明裕の住まいは福島市佐原にあり、土湯までは車で10分くらいの距離なので、平日は勤務を続け、土日に土湯へ通って、材料代を払い修業を続けた。佐志馬のロクロを使わせてもらうことが多かった。こけしは修業当初から作り、昭和58年には福島市物産展に出品、また翌59年には大浦泰英編集の〈こけし瓦版〉で工人として紹介された。
修業開始後15年目の平成9年に土湯こけし工人組合にも参加を認められ、正式に土湯系工人としてこけしの製作を行うようになった。その後、仕事は生活衛生営業指導センターの指導員に変わり、これを約14年勤めたが、平成28年3月に正式に退職し、以後はこけし製作に専心できるようになった。今泉源治の孫潮音に木地の指導をした。

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近野明裕 平成27年10月

近野明裕 平成28年
近野明裕 平成28年

〔作品〕 佐藤久弥に師事したので、佐志馬、久弥の作風を継承している。
当初の作は、面描、とくに眼の描法など、晩年の佐藤佐志馬を忠実に継承した型を作っていたが、次第に近野明裕の自分の作風を確立するようになった。
他の土湯の先人たちの作ったこけしにも関心を持ち、その研究にも努力しているので、新たな進展を見せる可能性がある。佐藤佐志馬の昭和20年代のこけしを復元して、成功したこともあった。

〔右より 30.3cm(平成9年)、21.2cm(平成13年)(高井佐寿)〕
〔右より 30.3cm(平成9年)、21.2cm(平成13年)(高井佐寿)〕

下掲は阿部金蔵の復元。


〔17.4cm(平成29年10月)(橋本正明)〕 金蔵型 東京こけし友の会頒布

令和2年には、佐藤佐志馬の父嘉吉が作った小寸こけしで、仏壇のカネを敲く棒として使われていたものを復元した。


〔11.4cm(令和2年6月)(橋本正明)〕近野明裕により嘉吉カネ棒復元

伝統的な土湯のこけし以外にも、竹の中に入った「かぐや姫こけし」など木地人形の製作も行う。

系統〕 土湯系

〔参考〕

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