大内一次

大内一次(おおうちいちじ:1909~1985)

系統:土湯系

師匠:大内今朝吉

弟子:大内慎二/今泉房雄

〔人物〕 明治42年1月7日、福島県岳温泉の木地業兼土産物店経営鈴木今朝吉・アキの長男に生まれる。大正9年両親が岳下村大内鉄蔵の夫婦養子となったため一次も大内姓に変わった。大正13年16歳のとき栃木県日光町の木地師白井亀吉に弟子入りし、21歳まで盆・鉢など主に大物挽きの技術を習得した。実際の指導は亀吉の息子喜一郎に負うところが大きかった。昭和4年春21歳で岳に戻り、父今朝吉よりこけしや小物玩具の製法を学んだ。昭和11年斎藤ミネと結婚、昭和12年以降父今朝吉がほとんど木地から離れたので、一次が中心となって木地業並びに土産物店松野屋経営を続けた。
戦後、昭和29年頃に今朝吉が一時の木地に描彩のみ行ったことがあるが、昭和12年以降は専ら一次が岳こけしの伝統を守っていた。昭和42年頃土湯の今泉房雄に木地を指導したことがある。昭和58年3月からは孫の大内慎二が弟子となって木地業を始めた。昭和60年3月22日没、行年77歳。

大内一次 昭和40年

大内一次 昭和40年

〔作品〕 昭和5から7年頃のものは大きな円形の頭部におっとりとした表情を描いて初々しい魅力にあふれたこけしである。中屋惣舜旧蔵〈こけし美と系譜〉などが代表作例である。昭和10年頃の作はやや頭部が小さく縦長にになるが、眉は太く表情の輪郭がはっきりしたものになる。この頃の胴底にはこけし図象のなかに福島・岳と書いたゴム印が押してある。この時期までの一次にはカセが描かれていない。

〔26.8cm(昭和10年頃)(橋本正明)〕

〔26.8cm(昭和10年頃)(橋本正明)〕
「福島・岳」のゴム印がおしてある

昭和14年頃になるとカセのあるもの、ないものが混在するようになる。カセの描法は岳に遊びに来た佐久間芳衛の示唆によるという。表情はおおむね戦後の本人型に近くなる。
一時、中の沢のこけしの影響で頬紅を付けた明眸な表情のこけしを作ったことがあるが、ほどなく止めた。
戦後も継続してこけしを製作、岳は新型の影響をほとんど受けず、昭和20,30年代は新型臭をまぬがれた数少ない産地であって、伝統の作風を維持し続けることが出来た。昭和37年に父今朝吉が亡くなると、蒐集界から今朝吉型継承を要望する声があり、昭和41年にたつみが飯田莫哀蔵の今朝吉の復元を一次に依頼して頒布、次に鹿間時夫蔵の復元と、順次昭和初期の今朝吉の復元作を世にだした。一次の描彩力は柔軟で、ある程度今朝吉の情味を表現出来ていた。

〔右より 24.8cm(昭和41年5月)、19.7cm(昭和41年12月)たつみによる鹿間時夫蔵復元、 20.2cm(昭和42年1月)たつみ特頒(橋本正明)〕

〔右より 24.8cm(昭和41年5月)本人型、19.7cm(昭和41年12月)たつみによる鹿間時夫蔵今朝吉復元、 20.2cm(昭和42年1月)たつみ特頒今朝吉型(橋本正明)〕

〔伝統〕 土湯系湊屋系列

 

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