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中島正

〔人物〕 明治40年10月11日、秋田県仙北郡に生まれる。幼時に両親と死別し、13歳の頃、最上郡金山に勤務する夫に嫁入りした姉を訪ねて肘折に移り、料理屋いせやに引き取られた。一時茨城県磯原に住んだが、大正10年15歳のと… 続きを読む

新山慶志

〔人物〕昭和23年5月11日、宮城県白石市福岡八宮弥治郎のこけし工人新山久志の四男に生まれる。新山久城は兄、新山亨は弟である。昭和44年より父久志について木地の練習をはじめ、昭和48年より慶志名義のこけしを発表している。… 続きを読む

国分陞

〔人物〕戸籍表記は國分である。國分陞は昭和20年3月9日に國分栄七、十二日(とにか)の五人兄弟の末子(男2人・女3人)として白石市に生まれた。兄は榮一、鎌田文市の妻さくよは叔母(栄七の妹)にあたる。陞の祖父徳治の兄寅吉の… 続きを読む

蔦幹夫

〔人物〕昭和29年3月27日、山形県米沢市小野川のこけし工人蔦衛の長男に生まれる。父衛の指導により高校時代より木地を挽くようになり、昭和54年頃一時期こけしを製作したが、まもなく休止し、土産物店つたやの経営に専念するよう… 続きを読む

島津勝治

大正年間に青森県浅虫温泉で木工所を経営していた人物。島津勝治自身の経歴や消息ははっきりしない。 島津勝治の工場では、鳴子から来た大沼熊治郎(大正5年ころ)、大沼甚五郎(大正2年)、伊藤松三郎(大正2年)、花巻から来た佐藤… 続きを読む

伊藤松三郎

〔人物〕 明治27年8月17日、宮城県古川市中新田の酒屋伊藤権三郎、はつの二男に生まれる。明治29年3歳で父権三郎と死別後、鳴子高橋金太郎に引きとられて成長した。 木地は高等小学校在学中の11歳より金太郎の長男万五郎につ… 続きを読む

遠藤正一

〔人物〕  昭和11年6月20日、宮城県玉造郡鬼首の木地師遠藤正志の長男に生まれる。鬼首の遠藤家は代々続いた木地師の家で、正一も父正志について木地を学んだ。製品は主に塗り下で盆、椀などを挽いたが、挽き物以外の湯桶や曲げ物… 続きを読む

遠藤利夫

〔人物〕  昭和22年3月2日、宮城県鬼首の木地師遠藤正志の四男に生まれる。遠藤正一は長兄。木地の技術はは父からも学んだが、昭和42年21歳のとき鳴子の熊谷弥市について修業し、こけしの製作についても学んだ。昭和… 続きを読む

高野孝作

〔人物〕  明治39年2月10日、宮城県玉造郡鳴子村高野幸八・つるよ(戸籍表記まつよ)の次男に生まる。明治36年生まれの兄幸一は、生後2ヶ月で亡くなったため、孝作が事実上の跡取りであった。 子供のころから父幸八の仕事を見… 続きを読む

伊藤豊

宮城県玉造郡鳴子町で一時期こけしを製作した。 昭和30年代の前半、鳴子駅前の大沼純に木地の技術を習い、純の工房で働いた。 小沢孝雄、山口吉夫は兄弟弟子である。 その後、栃木県日光市石屋町に転出した。以後の詳細は不明である… 続きを読む