〔人物〕 昭和7年1月25日、遠刈田温泉佐藤吉弥、トラヨの次男として生まれる。昭和20年ころよりこけしの描彩は始めたと言うが、正式の木地修業は、昭和22年4月中学校を卒業後新地の叔父佐藤吉之助に就いてからである。当時自宅… 続きを読む
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安藤勇亀
〔人物〕昭和42年3月16日、木地業安藤勇の長男として、宮城県白石市越河に生まれる。昭和58年より父の勇について木地の技術を習得した。昭和61年よりこけしの製作を始めた。 昭和63年秋に父の勇が55歳で他界したので、以後… 続きを読む
佐藤里見
〔人物〕 昭和3年8月11日、木地師佐藤豊治六男として宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉に生まれた。佐藤照雄、佐藤三蔵は兄にあたる。生家は遠刈田新地に向かう橋の手前左側の寿町で、通称六軒長屋とよばれ、隣家には小笠原義雄の一家が… 続きを読む
佐藤康広
〔人物〕 昭和51年4月26日、宮城県宮城郡宮城町芋沢大竹新田下の木地業、佐藤正廣の二男に生まれる。高等学校の時代からロクロには親しみ、独楽などは既に挽いていた。学校を卒業後、サラリーマン生活に入り、測量会社では約8年間… 続きを読む
海谷七三郎
〔人物〕明治23年3月25日、山形県東村山郡高瀬村大字下東山、海谷七右衛門、き江の四男に生まれる。長兄周蔵、次兄善蔵とともに青根の佐藤久吉について木地を学んだが、明治38年16歳のときに師久吉が没したので、久吉長男久助、… 続きを読む
大森久一
〔人物〕 昭和7年11月30日、土木業大森久三郎長男として、白石市に生まる。昭和22年尋常高等小学校を卒業後、山仕事や農業の手伝いをしたが、地元には仕事が少ないので、昭和28年小野幸三郎商店に入り、木地挽きの修業を始め… 続きを読む
大沼昇治
〔人物〕 昭和7年5月17日、宮城県刈田郡七日原の酪農業大沼彦太郎の五男として生まれる。昭和21年尋常小学校を卒業後、父の酪農業を手伝っていたが、昭和24年18歳のときから、遠刈田新地の佐藤文男について木地を学んだ。昭和… 続きを読む
佐藤三蔵(遠刈田)
〔人物〕 大正14年8月15日遠刈田温泉の木地業、佐藤豊治五男として生まれる。昭和15年遠刈田尋常小学校卒業後、仙南交通の事務員となり、昭和18年4月に志願兵として横須賀第二海兵団に入った。昭和20年8月宮城県多賀城の海… 続きを読む
佐藤正廣
〔人物〕 昭和13年7月27日、樺太豊原市の農業佐藤廣助、まつの二男(八人兄弟の末子)に生まれる。終戦により一家は引き揚げ、宮城県宮城町に居を定める。昭和30年宮城町大倉中学校を卒業後、我妻吉助について木地を修業した。 … 続きを読む
佐藤早苗
〔人物〕 昭和42年3月31日東京都小金井市の会社員鈴木博の長女に生まれる。旧姓達曽部。 平成21年6月、宮城県蔵王町の「伝統こけし工人後継者育成事業」に応募し、これに採用されて伝統こけしの製作を学んだ。この時採用された… 続きを読む