カテゴリー別アーカイブ: 工人

佐藤三春

宮城県加美郡小野田町の出身。鳴子岡崎斉の弟子。昭和2年頃より5年間修業し、一人前の技術を習得した。帰郷後転職したという。深澤要著〈こけしの追求〉で紹介された。

杉浦健治

福島県飯坂の人。健治の父が義太夫を通じて八幡屋佐藤応助と懇意であった。そこで応助の養子佐藤栄治の紹介を受け、明治31年20歳で栄治の師遠刈田の佐藤応助について木地を修業した。〈こけしの追求〉に採入された根本与市の聞き書き… 続きを読む

佐藤佐吉

明治29年頃、宮城県白石市の石屋の息子として生まれた。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると大正5年に11歳で遠刈田の佐藤茂吉に弟子入りしたとある。翌年の県当局による小室萬四郎の木地講習会では茂吉が講師を務めたた… 続きを読む

樋渡治一

〔人物〕明治39年8月2日、秋田県雄勝郡稲庭川連町川連久保の木地打師樋渡徳太郎、スエノの長男に生まれた。大正8年川連小学校を卒業すると、直ちに久保の高橋兵治郎につき立木木地の修業を始めた。弟連次も治一について木地を学んだ… 続きを読む

新山吉雄

明治38年6月6日、宮城県弥治郎の新山久治郎、さとの六男に生まれた。福岡村の小学校を卒業後、兄久治について木地を習ったが、間もなく転業した。昭和18年頃、こけし収集家に依頼を受け少数こけしを作ったが、これらは兄福太郎の代… 続きを読む

海谷国雄

昭和11年6月30日、岩手県盛岡市仁王の駒井友次郎、みきの三男に生まれた。昭和12年4月、仙台市定禅寺町の木地師海谷吉右衛門、よしみ夫婦と養子縁組をした。昭和26年仙台市五橋中学校を卒業後、義父吉右衛門について木地を修業… 続きを読む

高橋弥太郎

鳴子の人。明治初年、鳴子高橋直蔵の弟子となり木地を修業した。後に秋田県本荘に移り独立開業した。本荘時代の弟子では国松美登里が知られている。弥太郎は後年北海道へ渡ったというが経歴の詳細は不明である。やがて国松美登里の弟子河… 続きを読む

塩野惟信

生年月日、出身地不明。大正7、8年頃より秋保の佐藤三蔵に弟子入りし、木地挽の修業を行った。〈こけし手帖・33〉の深沢要遺稿集によると菅原庄七、山尾武治に次いで入門したという。さらに弟弟子として山尾春吉、毛利政治、佐藤吉雄… 続きを読む

佐藤広一

〔人物〕大正7年1月19日、宮城県刈田郡遠刈田新地の木地業佐藤広喜の長男に生まれた。昭和8年より父広喜につき木地を修業した。北岡仙吉の工場で働いていたが、昭和14年に巡査となり木地を廃業した。昭和16年応召し、昭和17年… 続きを読む