〔人物〕 昭和33年12月28日、東京都日野市百草の会社員高橋佳隆、昌子の次女に生まれる。祖父は高橋忠蔵、兄は高橋通。姉は忠蔵庵の相良都義に嫁いだ。8歳の頃より、時々祖父の木地に面描をすることがあった。昭和52年東京佼成… 続きを読む
高橋みね
〔人物〕明治8年6月4日生。鳴子の高橋利四郎の妻。〈こけしの追求〉によれば「利四郎には子供がなく、没後約10年間、未亡人ミネが経営者となり、中村雷治が手伝って業を続け、こけしも作った」という。利四郎の没年は大正7年である… 続きを読む
高橋盛雄
〔人物〕大正6年7月22日、鳴子高橋盛・きくゑの長男に生まる。高橋松子は妹、遊佐福寿は実弟である。高等小学校を卒業後、父盛について木地を修業した。こけしも作り、母きくゑと合作のものなどが及川商店で売られた。昭和12年より… 続きを読む
高橋弥太郎
鳴子の人。明治初年、鳴子高橋直蔵の弟子となり木地を修業した。後に秋田県本荘に移り独立開業した。本荘時代の弟子では国松美登里が知られている。弥太郎は後年北海道へ渡ったというが経歴の詳細は不明である。やがて国松美登里の弟子河… 続きを読む
高橋雄司
〔人物〕 昭和9年11月12日、川連久保の木地業高橋兵治郎の長男に生まれる。小学校時代より父兵治郎の仕事を見ながら木地挽きを覚え、中学の時にはすでに金の稼げる技術に到達していた。 昭和25年中学を卒業すると木地業に従事、… 続きを読む
高橋義一
〔人物〕 昭和26年9月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷の高橋松子(戸籍表記まつを)の長男に生まれる。母松子はその父高橋盛とともに一家で秋田に移って、戦争中をその地で過ごした。秋田時代に結婚し、長女正子を生んだ。昭和25年… 続きを読む
高橋佳隆
〔人物〕 昭和2年11月21日、秋田県由利郡相馬郡鳥海町の柴田良治・ハナの二男に生まれる。昭和21年に木地業を志し、原ノ町の高橋忠蔵の弟子となって木地の修業を行った。昭和23年師忠蔵の三女昌子と結婚、養子縁組をして高橋姓… 続きを読む
高橋宣直
〔人物〕昭和37年4月22日、宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人高橋正吾の二男に生まれる。昭和60年24歳より父正吾について木地の修業を始めた。こけしの製作発表は昭和60年8月からである。 高亀の伝統を引く正統的な工人として… 続きを読む
高橋力雄
〔人物〕昭和6年12月17日、宮城県玉造郡鬼首村字久瀬(現在鳴子町)に生まる。鳴子の高橋武蔵の母のつ(明治27年没)の妹なつの孫にあたる。昭和26年、高橋武男に弟子入りし、昭和30年まで木地を修業した。小学校、中学校時代… 続きを読む
高橋利四郎
明治5年9月20日、高橋利左衛門、とらの長男として、宮城県栗原郡姫松村片子沢(現在の栗原市栗駒片子沢)に生まる。明治22年(推定)、18歳のとき鳴子の高橋直蔵(高橋亀三郎の父)に弟子入りし、明治25年(推定)21歳まで木… 続きを読む