こけしに関する記載が文書上に現れたものとしては万延元年(1860)の「萬挽物扣帳」(岩松直助文))があり、そこには「小人形、相人形、中人形、大人形、大々人形」としてこけしの寸法が記載されている。 こけしに相当する”名称”… 続きを読む
槻田與左衛門
〔人物〕万延元年11月6日、宮城県宮城郡作並村25番地の農業槻田逸三郎、ひての三男に生まる。長兄に吉三郎、次兄に利三郎がいた。師匠は定かではないが、生家の母屋の片隅にロクロを据えて木地を挽き、こけしや玩具を作っていたとい… 続きを読む
九十九豊勝
明治27年7月17日、兵庫県三木市志染町安福田577の浄土宗・栄運寺住職、九十九淨二(せんじ)、寿(すい)の7人兄弟の末子として生まれる。栄運寺は元禄5年に中興され、竹中半兵衛の墓と供養塔がある事で知られている。 豊勝… 続きを読む
蔦作蔵
〔人物〕 明治25年11月18日、宮城県柴田郡大河原町に、菓子職人蔦伊作・ハツノの長男として生まる。弟に、幸作、金作がいる。蔦家は代々山梨県で寺職に従い、寺の周りの蔦にちなんでこの姓名をつけたといわれる。明治3… 続きを読む
蔦文男(1)
〔人物〕大正9年2月13日、山形県南置賜郡玉庭村字大舟の青木盛二男に生まれる。父盛の妹つぎゑは小野川の蔦作蔵に嫁いでいたが、作蔵・つぎゑ夫妻の間には子供が生まれなかったので、昭和5年に文男がその養子となった。また昭和9年… 続きを読む
蔦文男(2)
〔人物〕昭和19年11月9日、南置賜郡三澤村小野川温泉の木地業、蔦作蔵の長男に生まれる。昭和31年(小学6年生:作蔵存命中)より描彩を、同34年より木地挽きを義兄衛より習い始めた。鳴子にてしばらく商人修業を行ったが昭和3… 続きを読む
蔦衛
〔人物〕 昭和3年11月10日柴田郡大河原町の蔦幸作五男として生まれる。昭和9年4月南置賜郡三澤村小野川温泉の蔦作蔵の養子となる。作蔵は父幸作の実兄にあたる。昭和18年3月尋常小学校卒業後作蔵につき木地の修業を行い、コマ… 続きを読む
蔦幹夫
〔人物〕昭和29年3月27日、山形県米沢市小野川のこけし工人蔦衛の長男に生まれる。父衛の指導により高校時代より木地を挽くようになり、昭和54年頃一時期こけしを製作したが、まもなく休止し、土産物店つたやの経営に専念するよう… 続きを読む
土屋佐次兵衛
〔人物〕 昭和16年9月6日山形県南置賜郡三澤村小野川の農業土屋栄長男として生まれる。昭和32年米沢市立三沢東部中学校卒業後、加藤政義より木地を習い新型及び近代こけしの木地下を挽いた。昭和48年頃より小野川温泉のつたや工… 続きを読む