〔人物〕 大正7年11月17日、宮城県作並の木地業平賀謙蔵の二男に生まれる。 多蔵は長兄である。昭和5年3月より父謙蔵について木地の修業を始める。翌昭和6年尋常小学校を卒業後、本格的に木地業に取り組む。兄弟弟子に兄の多蔵… 続きを読む
平賀謙蔵
〔人物〕 明治20年9月10日、平賀太五郎・ウタの長男に生まれる。父太五郎は岩手県稗貫郡湯口村根子の出身、文献によって太五郎を多五郎とするものがあるが、戸籍上は太五郎であり万延元年9月12日生まれ、その父は平賀徳助、母は… 続きを読む
平賀貞夫
〔人物〕大正14年3月22日、平賀貞蔵の長男として宮城県仙台市に生まれた。当時貞蔵は仙台でタクシーの運転手をしていた。昭和8年一家は作並に戻って父貞蔵は岩松旅館で働いた。 貞夫は昭和14年に高等小学校を卒業後、国鉄に入り… 続きを読む
平賀多蔵
〔人物〕 明治45年1月7日、宮城県作並の木地業平賀謙蔵の長男に生まれる。大正13年尋常小学校を卒業すると、父謙蔵について木地を修業した。昭和5年弟の謙次郎が木地の修業を始め、一人前になると、多蔵は岩松旅館の手伝いをする… 続きを読む
平賀忠
〔人物〕 昭和12年9月28日、宮城県作並の平賀多蔵の長男に生まれる。父多蔵は昭和16年に出征、18年にガダルカナルで戦死したので、父から木地を習う機会はなかった。 昭和28年広瀬中学校卒業、その年17歳で山形の小林誠太… 続きを読む
平賀貞蔵
〔人物〕 明治30年8月6日、宮城県作並の平賀太五郎二男に生まれる。明治45年16歳の時、兄謙蔵が夫婦で山形より戻り、作並で木地を開業したので、その弟子となった。こけしや玩具のほか、盆や茶櫃等も挽いた。 大正12年転職し… 続きを読む
平賀輝幸
〔人物〕 昭和47年3月1日、こけし工人平賀謙一の長男として宮城県作並に生まれる。 昭和62年ころからロクロに向かっていたが、正式な修業は高校卒業した平成2年3月からであり、こけしもこの時期から製作している。… 続きを読む
平瀬貞吉
〔人物〕 明治39年8月21日、米穀仲買人平瀬長蔵の次男として、秋田県仙北郡角館町に生まる。家は代々長八と称し、佐竹公遷封の折り、これについて水戸からきたといわれている。祖父長八は角館春慶塗を業としており、貞吉はその業を… 続きを読む
平瀬徳治
〔人物〕大正2年4月19日に米穀仲買人、平瀬長蔵の四男として秋田県仙北郡角館町に生まれた。次兄は貞吉で、現在3本しか確認されていない角館こけしの描彩者として知られている。祖父、長八は角館春慶塗の創始者で明治期に最盛期を迎… 続きを読む
平塚弥三郎
鳴子高橋亀三郎の弟子。山形県出身。大正初年高亀に入り木地を習得した。武男の話によれば「こけしを描くまでにならなかった」という。高亀をやめると鶴岡の竹野銀次郎の職人となった。大正13年没。詳細の経歴は不明。 こけしを作った… 続きを読む