遠藤富治郎

遠刈田で木地を修業したらしいが、師匠等はわからない。昭和3、4年ころから福島の管野菊好堂で 佐藤静助と共に職人として働いた。その後福島の小幡福松方でも働いたことがある。昭和15年ころ没したという。 現在福島県北白川の遺族… 続きを読む

遠藤富也

〔人物〕 昭和20年代末頃に少数売られたが、本人の経歴は判然としない。 〔作品〕 〈こけし辞典〉には項目があり、小野洸蔵の胴の太い作品を掲載して、「遠刈田系で佐藤吉之助に酷似している」と記載されているが、厳密には頭頂など… 続きを読む

及川あい子

〔人物〕大正13年6月17日、鳴子駅前の塗師大沼与三郎、峰子の4人兄弟の長女として生まれた。与三郎は、「沢口吾左衛門文書塗師ノ部」に記録の有る大沼栄三郎の三男である。及川林蔵、みよい夫婦に子供がいなかったので、生まれてす… 続きを読む

及川吉三

〔人物〕  明治14年岩手県江刺郡岩谷堂町に生まれる。木地は、明治30年17歳の頃、工場で働きながら習得した。それゆえ師匠というものはいないが宮城県白石町生まれの佐藤熊治という工人から最も多く指導を受けたという(西田峯吉… 続きを読む

及川正夫

〔人物〕大正7年5月13日、岩手県一関市大東町曽慶角北48番地の農業佐藤安治、チトセの三男として生まれた。盛岡市の旧渋民尋常小学校を卒業後に親戚の及川林蔵を頼り鳴子に移った。生まれつき胃腸が弱く、湯治を行いながら林蔵の下… 続きを読む

及川吉郎

〔人物〕大正9年3月27日、仙台の及川清吉の四男に生まる。尋常小学校を卒業後、昭和8年より仙台商工省工芸指導所に入り、佐藤孝之助から木地挽きの手ほどきを受ける。工芸品等を多く作り、こけしを挽いたのは昭和16年ころからであ… 続きを読む

大泉清見

〔人物〕  昭和11年11月11日宮城県刈田郡小原村の小原郵便局局長代理小原清四郎、とみの次男に生まれる。大浦久一の甥にあたる。父清四郎は清見が3歳の時に急死した。 少年期は大変苦労して、母の実家や親戚の家を転々としなが… 続きを読む

大内一次

〔人物〕 明治42年1月7日、福島県岳温泉の木地業兼土産物店経営鈴木今朝吉・アキの長男に生まれる。大正9年両親が岳下村大内鉄蔵の夫婦養子となったため一次も大内姓に変わった。大正13年16歳のとき栃木県日光町の木地師白井亀… 続きを読む

大内恵津子

〔人物〕 昭和35年6月10日、薬剤師河野安男の長女として東京に生まれる。福島県岳温泉の大内慎二と結婚、昭和59年3月より慎二の祖父大内一次、夫慎二についてこけしの描彩を学んだ。恵津子はもともと画才があり、作品としての絵… 続きを読む

大内今朝吉

〔人物〕 明治16年11月25日福島県安達郡岳温泉の旅館主鈴木治三郎・カメの次男に生まれる。父治三郎は、明治10年安達郡石井村鈴石字堀越より婿入りし、温泉宿扇屋を営む傍ら農業にも従事していた。この当時の岳温泉は深堀という… 続きを読む