大沼俊春

〔人物〕 昭和4年3月11日、北海道洞爺湖の桶樽製造業板垣志治郎・スヱの三男に生まれる。3歳の時母と死別、昭和9年6歳の時に鳴子から来て洞爺湖にいた木地師大沼甚四郎夫妻に引き取られて養子となった。入籍はしていなかったので… 続きを読む

大沼なつ

宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。 なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高… 続きを読む

大沼秀顯

〔人物〕 昭和31年5月20日、宮城県玉造郡鳴子町湯元のこけし工人大沼秀雄、百合子の長男として鳴子に生まれる。昭和50年県立古川高校を卒業し、同年4月より父秀雄について木地修業を開始した。昭和57年のこけしまつりに初めて… 続きを読む

大沼秀雄

〔人物〕  昭和5年2月18日、鳴子大沼竹雄の次男に生まる。父竹雄は昭和15年1月5日に41歳で亡くなったため、直接父より指導をうけることはできなかった。昭和19年鳴子高等小学校を卒業後、終戦まで塩釜のドックで… 続きを読む

大沼秀則

〔人物〕昭和34年10月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷のこけし工人大沼力の長男に生まれる。 昭和53年4月高校を卒業してから父の大沼力について木地を学び、こけしを製作するようになった。秀則名義作品は昭和54年から出してい… 続きを読む

大沼正雄

〔人物〕  明治43年2月25日、宮城県玉造郡鳴子の木地業大沼浅吉、せいの四男に生まれる。祖父は大沼岩太郎である。兄の大沼竹雄より木地の指導をうけ、こけしの木地も多く挽いたが描彩は竹雄やその妻みつをが担当し、正雄自身は行… 続きを読む

大沼正人

〔人物〕昭和39年5月30日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子のこけし工人大沼健伍、美和子の長男に生まれる。昭和58年20歳より父の大沼健伍についてこけし製作を学び、こけしの製作を始めた。   〔作品〕祖父健三郎、父健… 続きを読む

大沼又五郎

〔人物〕文政7年6月13日、鳴子高野屋高野四郎作の長男に生まる。戸籍表記は亦五郎。父四郎作は旅館業で、家督は第一子である姉が相続、又五郎は弘化4年に源蔵湯隠居家督大沼三郎治(竹三郎)の長女ちやの入婿となり、弟幸作は分家し… 続きを読む

大沼みつを

〔人物〕 明治37年9月6日、川渡の結城正蔵の長女として生まれる。 昭和3年、鳴子の大沼竹雄と結婚、以後竹雄や義弟正雄の木地に描彩、合作もあるという〈こけし辞典〉。 なお、正雄は描彩は行わず、みつをは木地を挽かなかった。… 続きを読む

大沼美和子

〔人物〕昭和19年2月22日生まれ。宮城県鳴子町上鳴子のこけし工人大沼健伍に嫁し、昭和39年に長男正人を生んだ。家業を助ける中で、昭和50年頃より夫健伍や舅の健三郎に描彩を習うようになり、美和子名義のこけしを作るようにな… 続きを読む