佐藤盛昭

山形県最上郡及位に木地工場を経営した人。盛昭本人が木地を挽いたか、あるいは経営にだけ携わった人かはっきりしない。明治35年に盛昭が肘折に行ったときに佐藤文六の仕事を見て、その木地の技術に強く惹かれて文六を自分の工場へ招聘… 続きを読む

鈴木国蔵

〔人物〕 明治30年8月29日秋田県雄勝郡湯沢町御囲地の写真師鈴木勝治の長男に生まれる。木地は17歳より約1年間能代工業講習所で学んだ。講師は野田久之助であった。湯沢の松江謙太郎は弟弟子である。その後、各地を転々として木… 続きを読む

佐藤佑一

〔人物〕昭和18年9月21日、満州の教員佐藤正男の長男に生まれる。戸籍名は佐藤佑一であるが作品には佑介、佑助と署名することがある。戦後に一家は帰還して北海道に住んだ。昭和53年にこけしの魅力にひかれ、岩手県湯田の小林定雄… 続きを読む

横山水樹

〔人物〕昭和21年9月3日山形県西置賜郡飯豊町の横山昇の次男に生まれる。戸籍名は和昭。 昭和50年日立製作所日立工場に入社、昭和57年に退社し、同年8月37歳の時、こけし工人を志して弥治郎の新山久城に師事した。約2年の修… 続きを読む

石井峰吉

〔人物〕こけし作者石井誠朗の義父。広島県山県郡北広島町壬生にて明治26年2月26日に生まれた。峰吉は、実に多才な人物で、いろいろな活動、分野に手を伸ばして活躍した。刻字扁額を作り、禅宗にも造詣が深かったという。昭和12年… 続きを読む

高沢肇

〔人物〕 昭和2年2月13日の白石に生まれる。戸籍表記は高澤。父は農業高沢三之助、妻みつ子は弥治郎の佐藤伝内の孫娘である。昭和20年代には白石市で新型こけしの木地を挽いており、この間一時大泉清見が職人として働いた。 昭和… 続きを読む

小林昭三

〔人物〕 昭和17年3月1日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和42年3月に岩手日報社に入社した… 続きを読む

奈良靖規

〔人物〕明治30年10月25日、秋田県大湯の教育学の思想家奈良吉太郎の長男に生まれた。大正6年秋田師範本科第一部をを卒業、切石小学校に教師として赴任した。大正13年には台東区富士小学校に赴任となり上京した。昭和8年からは… 続きを読む

北村守雄

〔人物〕大正14年6月2日に生まれた。会津若松の工芸指導所において、技師であった安藤良弘の指導を受け木地業についた。福島県南会津郡下郷町弥五島塔のへつりにてこけしの製作を始めた。家族全員によるこけしの製作である。長女寿万… 続きを読む