〔人物〕昭和9年2月6日、北海道帯広市農業大旗源治郎の次男として生まれる。母親が佐藤文助の妹だった関係で戦後は宮城県へ移住し、仙台市内に数年住んだ。昭和29年から遠刈田新地の佐藤文男について木地修業を始めた。その後、遠刈… 続きを読む
〔人物〕昭和9年2月6日、北海道帯広市農業大旗源治郎の次男として生まれる。母親が佐藤文助の妹だった関係で戦後は宮城県へ移住し、仙台市内に数年住んだ。昭和29年から遠刈田新地の佐藤文男について木地修業を始めた。その後、遠刈… 続きを読む
〔人物〕昭和8年8月5日、農業田切榮の四女に生まれた。昭和40年宮城県遠刈田温泉の我妻与四松の長男昭三と結婚した。昭和59年より夫の昭三の指導でこけしの描彩を練習、昭和61年頃よりつね子名義のこけしを出すようになった。&… 続きを読む
〔人物〕大正15年12月5日に生まれた。昭和42年3月に高勘で修業した大場茂と結婚、茂は滝島家の入婿となり滝島姓に代わった。この年5月に茂は鳴子温泉字赤湯で独立してこけしの製作を行うようになった。さよは昭和60年頃より夫… 続きを読む
明治18年酒田に生まる。高橋直広の最初の弟子。酒田市上内匠町で木工所を経営し、昭和23年2月29日、64歳で没した。 こけしは作らない。昭和の初めころ、こけし作者として誤り伝えられた。〈こけしと作者〉では「私の入手したの… 続きを読む
〔人物〕昭和29年7月26日、山形県天童市の会田栄治、愛子の長男に生まれた。 昭和48年3月日大山形高校卒業、日本大学商学部に進学したが昭和50年10月に中退し、11月から米沢の武田信吉について木地修業を開始した。 昭和… 続きを読む
〔人物〕明治21年12月20日、石川県輪島に生まれた。会津で木地の修業を行い、輪島、川連などで木地職人として働いた。この間に所帯を持ったが、妻女は木地山の小椋久太郎の遠戚にあたる。小椋亀代司は息子である。戦後、岩手県盛岡… 続きを読む
〔人物〕昭和7年6月24日生まれ。福島市の小幡福松の長男敏夫に嫁いだ。義母の小幡チヨ、義姉の初子、夫の敏夫の指導でこけしの描彩を学んだ。戦後の小幡福松名義のこけしには奈津子の描彩のものが多い。昭和43年に義父の福松が亡く… 続きを読む
〔人物〕 明治27年7月11日、山形県最上郡大蔵村肘折の農業横山政治の長男に生まれる。叔父の横山新助は柿崎藤五郎の弟子であった。明治40年14歳で肘折河原湯の近くで木地を挽いていた佐藤周助について技術を習得した。この時… 続きを読む
[人物] 昭和12年10月3日宮城県名取郡秋保村湯元30にて菅原庄七、とめよの長男として生まれる。昭和29年3月秋保中学校卒業後、石工等をした後昭和30年頃より庄七の仕事を手伝い始めた。昭和31年には初作を発表、作る本数… 続きを読む
〔人物〕 安政4年4月3日、陸中国磐井郡山目村120番宮本惣内、里さの二男に生まれる。長兄は惣蔵。祖父は宮本惣三郎、母里さは志田郡田尻村の斎藤新八長女。深沢要の宮本永吉からの聞書によると、「木地は、初代が惣助、二代が惣七… 続きを読む