明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む
明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む
〔人物〕大正15年12月5日に生まれた。昭和42年3月に高勘で修業した大場茂と結婚、茂は滝島家の入婿となり滝島姓に代わった。この年5月に茂は鳴子温泉字赤湯で独立してこけしの製作を行うようになった。さよは昭和60年頃より夫… 続きを読む
〔人物〕昭和9年12月12日、木地業を経営する岡村豊太郎、貞子の5人の子供たち(男3人・女2人)の長男として西田川郡大山町鍛冶町に生まれた。祖父岡村豊作の代から木地屋の家系である。昭和27年3月に山形県立大山高等学校普通… 続きを読む
安政元年2月27日宮城県宮城郡愛子村の小松東十郎の五男に生まれる。兄に六兵衛、今朝右衛門、養蔵がいた。小松藤右衛門(戸籍名:今朝右衛門)は作並で岩松直助について木地を学んだ。惣五郎は兄の藤右衛門について木地を学んだ。明治… 続きを読む
東京こけし友の会の〈こけし手帖・618〉(平成24年7月)に高橋五郎寄稿による鳴子古こけしの発見とその考察が掲載された。 これらのこけしは宮城県加美町上狼塚の旧家から発見されたもので、特にそのうちの三本は下の写真に示すよ… 続きを読む
〔人物〕大正14年9月1日、高橋忠蔵、ミンの次男として、福島県相馬郡原ノ町に生まる。高橋佳隆に嫁いだ昌子は妹である。昭和15年、16歳のとき宮城県遠刈田温泉の北岡商店に徒弟として入る。当時、北岡の職人をしていた佐藤豊治に… 続きを読む
〔人物〕 明治25年10月10日、佐々木金助長男として青森県板留字宮下に生まれる。明治34年、4年制小学校を卒業後、雑貨屋の手伝いをしていた。明治37年より山形村黒森の寺子屋で勉学を続けた。明治40年16歳で父… 続きを読む
〔人物〕 明治37年2月10日、宮城県刈田郡八宮78番地(梨ノ木沢)に生まる。父は馬夫を業としていた。大正8年16歳で弥治郎の小倉嘉三郎に弟子入りした。嘉三郎の妻けさよ(日下倉吉七女)は叔母にあたる。当時嘉三郎は農業主… 続きを読む
〔人物〕 大正14年5月14日、青森県西津軽郡森田村の電力会社社員佐藤善吉・ハナの二男に生まれる。名前の読み方は、蒐集界では「ぜんじ」で通っている、ただし正式には「ぜんに」であったと言われている。 昭和19年青森県立木造… 続きを読む
〔人物〕 昭和3年12月25日、川連大館小椋泰一郎・たかの次男に生まる。成人になると横浜にでて勤め始めたため、専門にこけしを作ったことはない。木地の修業も正式にしたことはないが、父泰一郎の仕事を見て育ったので簡単なものは… 続きを読む