〔人物〕 明治30年8月6日、宮城県作並の平賀太五郎二男に生まれる。明治45年16歳の時、兄謙蔵が夫婦で山形より戻り、作並で木地を開業したので、その弟子となった。こけしや玩具のほか、盆や茶櫃等も挽いた。 大正12年転職し… 続きを読む
〔人物〕 明治30年8月6日、宮城県作並の平賀太五郎二男に生まれる。明治45年16歳の時、兄謙蔵が夫婦で山形より戻り、作並で木地を開業したので、その弟子となった。こけしや玩具のほか、盆や茶櫃等も挽いた。 大正12年転職し… 続きを読む
〔人物〕明治37年9月10日、小幡末松、ヨフの三男として福島市荒町10番地に生まれる。長じて理髪業を持って独立、福島市戸ノ内町19に住んだ。長兄福松の描彩はおもに弟の秀松が行っていたが、昭和7年に秀松が海軍に入って横須賀… 続きを読む
宮城県作並の木地師岩松直助の息子、おそらく長男と思われる。弟もいたが、弟は明治10年5月10日に、直治は明治11年9月12日に亡くなっている。舎弟は西南の役(西南戦争)に従軍し、そのための死であったと言われている。 過去… 続きを読む
明治29年、宮城県柴田郡川崎村字前川権現塚農業大沼与四郎の次男に生まれた。長兄は大沼新三郎。明治40年青根山ノ湯の小原工場に入り、小原直治について木地業を習得した。大正4年ころ、青根を去って秋保で働いたが数年にして戻った… 続きを読む
天保10年3月5日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤円吉二男に生まれた。修業は二人挽で父円吉より習ったと思われる。茂吉家の祖佐藤千代吉の養子となり、久吉家からきたとらと結婚した。その関係で明治6年より同9年まで久吉を弟子とし… 続きを読む
〔人物〕 明治42年1月18日生まれ。父は国分徳治、兄は国分栄七である。白石の工人鎌田文市に嫁ぎ、戦前に夫文市の木地に描彩したこけしが知られている。蒐集家の依頼で、昭和15年頃約50本、その後昭和18年頃までに約50本を… 続きを読む
〔人物〕 昭和22年8月29日、青森県黒石市の農業北山藤逸の四男として生まれる。もともとバイクや自転車の販売を生業としていたが、ねぷた製作にも携わっていて、郷土の芸能や民俗芸術に関心が高かった。昭和57年1月より木地を学… 続きを読む
〔人物〕 明治38年1月19日河村辰治、リマの二男として秋田県由利郡本荘町裏尾崎町39に生まれる(〈こけし辞典〉に明治37年生まれとあるのは間違い)。旧制本荘中学校卒業後、北海道、樺太などで働き、昭和5、6年頃本荘に戻っ… 続きを読む
〔人物〕 昭和27年10月18日、農業・菅原新一郎の三男として生まれる。 昭和46年12月神奈川県鎌倉市の大石製作所で大石辰雄のもと木地修業を始め、その後秋田県本荘市(現・由利本荘市)に移転。昭和… 続きを読む
〔人物〕明治元年10月13日、小椋徳右衛門・マサの長女として、秋田県雄勝郡川向村二五六番地(現在秋田県湯沢市皆瀬水上沢)に生まる。小椋久四郎・石蔵等の姉にあたる。明治24年10月、川連町大舘の塗師の小野寺梅太郎と結婚。 … 続きを読む