高橋悟郎

〔人物〕明治34年1月12月、岩手県和賀郡笹間村(現花巻市)中笹間の仏画師高橋庄吉の五男として生まれた。22歳のとき北海道へ渡ったが、脚気を患ったため24歳で帰郷した。花巻で傘口クロ(和傘の部品)の目立て職人をしていた兄… 続きを読む

木地屋文書

木地屋の祖が、文徳天皇第一皇子の惟喬親王であるとする伝説がある。その伝説をふまえて、木地屋の特権を保証する天皇の綸旨、大名からの免許状、また諸国への移動を可能にする往来手形、宗門手形等の文書類を木地屋文書という。  惟喬… 続きを読む

大賀敏明

〔人物〕昭和21年9月11日、製函業、木地業大賀貞治、よしの長男として仙台市東七番丁126に生まれた。昭和40年3月宮城県工業高等学校木材工学科を卒業した後、我妻吉助についてこけし製作を学んだ。我妻吉助は昭和37年頃から… 続きを読む

佐藤誠次

〔人物〕 明治35年5月2日、遠刈田新地の佐藤文治、はるの三男に生まれた。佐藤丑蔵は長兄、三次は次兄であり、佐藤文六は叔父にあたる。大正2年13歳のとき、及位の叔父文六のもとへ行って、雑用を手伝ったが、このときにはまだ木… 続きを読む

宮本惣七

〔人物〕 安政4年4月3日、陸中国磐井郡山目村120番宮本惣内、里さの二男に生まれる。長兄は惣蔵。祖父は宮本惣三郎、母里さは志田郡田尻村の斎藤新八長女。深沢要の宮本永吉からの聞書によると、「木地は、初代が惣助、二代が惣七… 続きを読む

佐藤きく

〔人物〕 明治44年4月12日、山形県最上郡大蔵村清水に生まれる。昭和7年に仙台に出ていた佐藤巳之助と結婚がきまり、翌8年5月仙台に来て所帯を持った。昭和10年には長男昭一が誕生した。 昭和20年戦災に遭い、一家で国分町… 続きを読む

佐藤政雄

山形県山寺の富士屋旅館の息子で蔵王高湯の岡崎長次郎に木地を習い、山寺で約3年ほど木地を挽いた後、家業の旅館業に戻った。その後石山三四郎にこけしの描彩を教えている。この頃、佐藤政雄は木地を廃業したので、山寺宝珠山立石寺境内… 続きを読む

北山久美子

〔人物〕昭和27年10月10日、秋田県平鹿郡雄物川町西野字樋向の農業鈴木虎大、タミの長女に生まれた。昭和48年11月こけし工人北山賢一と結婚した。 こけしには日頃から関心があったが、昭和62年ころに夫賢一の木地に初めて描… 続きを読む

平塚弥三郎

鳴子高橋亀三郎の弟子。山形県出身。大正初年高亀に入り木地を習得した。武男の話によれば「こけしを描くまでにならなかった」という。高亀をやめると鶴岡の竹野銀次郎の職人となった。大正13年没。詳細の経歴は不明。 こけしを作った… 続きを読む