〔人物〕昭和21年9月3日山形県西置賜郡飯豊町の横山昇の次男に生まれる。戸籍名は和昭。 昭和50年日立製作所日立工場に入社、昭和57年に退社し、同年8月37歳の時、こけし工人を志して弥治郎の新山久城に師事した。約2年の修… 続きを読む
〔人物〕昭和21年9月3日山形県西置賜郡飯豊町の横山昇の次男に生まれる。戸籍名は和昭。 昭和50年日立製作所日立工場に入社、昭和57年に退社し、同年8月37歳の時、こけし工人を志して弥治郎の新山久城に師事した。約2年の修… 続きを読む
〔人物〕 明治31年8月18日土湯の上ノ町16 阿部金蔵・ミヱの長男に生まれる。戸籍表記は廣史。金蔵の家は、上の松屋と呼ばれ旅籠を本業としていたが、明治後期には木地と炭焼きを専業とするようになっていた。広史は大正3年17… 続きを読む
〔人物〕 昭和5年11月4日、青森県南津軽郡蔵舘町の木地業嶋津彦三郎の長男として生まれる。署名に島津と書くことも多いが、戸籍表記では嶋津が正しい。昭和22年3月弘前工業高校卒業後、父の彦三郎について木地の修業を始めた。昭… 続きを読む
〔人物〕弥治郎系の作者佐藤誠の平時代の弟子。生年月日等詳細は不明。昭和10年代に平の佐藤誠の木工所で職人として働いた。こけしも作り、極少数作品も残されている。その後の経歴も不明である。 製作年代は極短い期間で… 続きを読む
山形県蔵王温泉の斎藤源吉の晩年の弟子。米沢市出身。新型こけしの木地を挽いていたが伝統こけしを製作するため、改めて昭和27年25歳ぐらいで源吉に弟子入りした。こけしの木地を挽き、若干描彩もしたというが作品は確認されていない… 続きを読む
〔人物〕昭和19年2月22日生まれ。宮城県鳴子町上鳴子のこけし工人大沼健伍に嫁し、昭和39年に長男正人を生んだ。家業を助ける中で、昭和50年頃より夫健伍や舅の健三郎に描彩を習うようになり、美和子名義のこけしを作るようにな… 続きを読む
〔人物〕明治19年3月1日、嶋津彦蔵長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。木地挽きは父彦蔵から温湯温泉で修業したものと思われる。大正3、4年に弟彦三郎と共に大鰐町に移住し、田中重吉方の職人をした。 大正8… 続きを読む
〔人物〕 明治33年12月5日、遠刈田の鋤鍬柄師我妻与七の長男に生まれた。大正元年遠刈田尋常高等小学校を卒業後、吉田畯治の木地工場に入り、食費自弁の契約で働いた。当時吉田の木工所には、佐藤治平、佐藤倉吉(平沢出身、吉郎平… 続きを読む
〔人物〕明治43年4月1日、秋田県仙北郡生保内村生保内字宮後の桶屋小林亀治、フクの二男に生まれた。長兄は勇吉、ナカ、ハナ等の妹がいた。従来、友治と表記されていたが、戸籍表記は友次である。大正11年、生保内小学校卒業、直ち… 続きを読む
〔人物〕 昭和62年4月19日宮城県白石市福岡八宮弥治郎北のこけし工人新山吉紀、真由美の長男に生まれる。平成19年3月花壇自動車整備大学校を卒業した後、自動車の整備士として勤務した。平成22年に結婚、夫人久美子との間に二… 続きを読む