
〔人物〕明治29年10月3日、農業堀吉太郎長男として山形県南置賜郡南原村芳泉(現米沢市)に生まれた。米沢興譲館高校卒業後、村役場の勧業係をしていたが、大正6年ころから、当時米沢にきた小林吉太郎と親しくなり、趣味にこけしを… 続きを読む
〔人物〕明治29年10月3日、農業堀吉太郎長男として山形県南置賜郡南原村芳泉(現米沢市)に生まれた。米沢興譲館高校卒業後、村役場の勧業係をしていたが、大正6年ころから、当時米沢にきた小林吉太郎と親しくなり、趣味にこけしを… 続きを読む
〔人物〕昭和8年7月26日、宮城県加美郡東小野田町農業早坂善五郎・あきよの三男に生まる。新制中学卒業後、昭和27年9月より岡崎斉司の弟子となり、昭和33年まで修業、年期明け後も岡崎の職人として勤めた。〈こけしガイド〉で紹… 続きを読む
〔人物〕昭和10年7月12日、宮城県柴田郡青根の大工佐藤勝雄、ひろせの長男に生まれる。母のひろせは佐藤菊治の姉まつよの娘である。昭和26年頃から仙台の我妻吉助に弟子入りし、夜間高校に通いながら木地の技術を習得した。昭和2… 続きを読む
〔人物〕 大正12年2月10日、福島県土湯温泉上ノ町農業渡辺治作、イクの五男に生まれる。渡辺定巳は兄。昭和12年土湯尋常小学校を卒業後、土産物店さかえやを経営。昭和41年12月より一年間斎藤弘道と西山憲一について木地を学… 続きを読む
漢字表記は「綛」。本来の意味は、紡いだ糸を取り扱いに便利なよう、一定の大きさの枠に一定量巻いて束にしたもの。その束を一綛、二綛と数えた。綿糸の場合、一綛は約768メートル。 こけしで「かせ」という場合は、土湯系のこけしの… 続きを読む
〔人物〕 明治37年9月6日、川渡の結城正蔵の長女として生まれる。 昭和3年、鳴子の大沼竹雄と結婚、以後竹雄や義弟正雄の木地に描彩、合作もあるという〈こけし辞典〉。 なお、正雄は描彩は行わず、みつをは木地を挽かなかった。… 続きを読む
〔人物〕こけし作者石井誠朗の義父。広島県山県郡北広島町壬生にて明治26年2月26日に生まれた。峰吉は、実に多才な人物で、いろいろな活動、分野に手を伸ばして活躍した。刻字扁額を作り、禅宗にも造詣が深かったという。昭和12年… 続きを読む
青根の土産物店主。青根、遠刈田のこけしを販売したので作者と誤伝されたことがある。重右衛門の父重太郎は遠刈田新地佐藤周右衛門の弟で、青根の先代重右衛門の長子ゆのと結婚して、婿に入った。重太郎、ゆのの長子が重右衛門を名乗った… 続きを読む
〔人物〕 大正14年1月8日、福島県土湯温泉木地業阿部新次郎・よりの長男に生まれる。阿部治助は伯父にあたる。昭和16年より父新次郎について木地を学んだ。こけしも作ったが、昭和18年には転業した。戦後の再開は昭和30年1月… 続きを読む
〔人物〕昭和8年9月11日、山形県米沢市のこけし工人高崎栄一郎の長男に生まれた。昭和24年米沢第一中学校を卒業し、直ちに父の栄一郎について木地を学んだ。その後一年間は夜間高校に通った。昭和32年佐藤芳美の次女美和子と結婚… 続きを読む