
〔人物〕 明治44年7月13日、福島県福島市置賜町の木地業小幡末松、ヨフの五男に生まれる。大正15年3月15歳で学校を卒業し、同年4月頃より父末松より木地を習った。最初の1年ほどはほとんど木取りが主で、昭和2年の初め頃か… 続きを読む
〔人物〕 明治44年7月13日、福島県福島市置賜町の木地業小幡末松、ヨフの五男に生まれる。大正15年3月15歳で学校を卒業し、同年4月頃より父末松より木地を習った。最初の1年ほどはほとんど木取りが主で、昭和2年の初め頃か… 続きを読む
〔人物〕 昭和2年8月3日、米沢市の玩具商・木地業鈴木清、峰子の長男に生まれた。昭和17年4月中学校卒業とともに横浜の海軍航空技術廠に入り、設計に従事していたが、終戦に際し、20年より白石の共栄木工所に入って木地の技術を… 続きを読む
馬具の一つ。通称、管(くだ)と言って馬の尻尾の捌きを良くするために使われた。尻がい玉ともいう。馬の尾の下を通して両端を鞍に付ける。 尻替玉作りは、ロクロの工法と刃物の扱いの習得になるので、戦前には鳴子はじめ各産地で、弟子… 続きを読む
〔人物〕昭和14年11月22日、山形県東村山郡山辺町の農業安孫子常三郎の三男に生まれる。昭和30年3月山辺中学校を卒業後、4月より山形市円応寺新道の小林清次郎に弟子入りし木地の修業を始めた。長く、吉三郎や清次郎の下木地を… 続きを読む
秋田県登町の木地師。秋田県仙北郡生保内字宮ノ後の出身。木地師の系譜は不明。秋田市登町で独立開業。明治45年6月、亀治の養子正吉が、大正11年には亀治の次男友次が入門して木地を修業した。従来の文献では鶴次が兄で亀治が弟とな… 続きを読む
〔人物〕 昭和11年12月12日、山形市双月の大宮安次郎二男に生まれる。昭和27年より父安次郎につき木地を修業したが、その年に安次郎は亡くなり、以後兄安光について技術習得した。昭和31年山形工業高等学校を卒業後… 続きを読む
〔人物〕明治9年9月15日、鳴子大沼善三郎(通称栄五郎)の二男に生まる。父善三郎は大沼駒蔵の長男で弟に栄三郎がいた。父栄五郎は沢口吾左衛門文書の木地挽きの部にその名を見ることができる。熊治郎は父栄五郎より木地技術を習得。… 続きを読む
〔人物〕昭和13年8月13日、宮城県刈田郡七ヶ宿町字明神前に生まれた。昭和29年中学校を卒業後、小原の本田亀寿について木地を修行した。亀寿の型を作っていたが、昭和41年鹿間時夫の勧めにより鶴松型を復元して一定の成果を出し… 続きを読む
〔人物〕昭和22年11月22日、宮城県玉造郡岩出町池月鵙小森の農業 鉄本運蔵、こよしの五人兄弟の三男として生まれた。昭和37年3月、一栗中学校を卒業後、千葉県市川市のプラスチック工場に住込みで就職した。半年程勤めた頃に工… 続きを読む
〔人物〕 昭和47年9月29日、福島県土湯温泉の松屋阿部敏道の二男に生まれる。祖父は金一、曾祖父は治助である。平成4年に陳野原幸紀について木地を修業、こけし製作にあたっては祖母シナ、義祖父勝英、父敏道から描彩の教えを受け… 続きを読む