
〔人物〕 昭和11年1月1日佐藤米蔵の長男として神奈川県鶴見に生まれる。この時、父の米蔵は旭硝子に勤めて鶴見にいた。昭和20年一家は遠刈田へ戻った。一夫は学校を終えて昭和26年15歳の時、遠刈田の北岡木工所に入って木地挽… 続きを読む
〔人物〕 昭和11年1月1日佐藤米蔵の長男として神奈川県鶴見に生まれる。この時、父の米蔵は旭硝子に勤めて鶴見にいた。昭和20年一家は遠刈田へ戻った。一夫は学校を終えて昭和26年15歳の時、遠刈田の北岡木工所に入って木地挽… 続きを読む
セルソ・ゴミス(Cels Gomis 1912~2000)は戦前(1939~1946)にスペインより来日し熱心にこけしを蒐集した。 1912年バルセロナ生まれで、実家は豊かな木綿貿易商であった。自身は芸術家ではなかったが… 続きを読む
〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む
〔人物〕 明治32年4月11日盛岡市油町の赤澤辰之助、タマの四男に生まれる。母タマの妹フクが秋田県仙北生保内の桶屋小林亀治に嫁いでいた縁で、明治40年に亀治、フクと養子縁組をした。明治43年に亀治、フク夫婦に次男友次が誕… 続きを読む
赤物というのは赤い染料を使った玩具や土産物のこと。木製玩具、土人形、張子などでも広くこの呼称は使われた。 赤は疱瘡(天然痘)から守るといってこの赤物を喜んで買い求め、子供のもてあそび物にした。赤物玩具を作る人のことも、赤… 続きを読む
〔人物〕 明治39年7月30日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(木地山)の木地師小椋久四郎、キクの二男に生まれる。留三は実弟、石蔵は叔父、正治は従兄にあたる。 稲庭の母方の祖父栗原久之助の家に寄宿して、稲庭尋常小学校に通学した。… 続きを読む
〔人物〕明治22年11月18日、弥治郎の木地業佐藤幸太・すくの長男に生まれる。弟に慶治、味蔵、春二がいた。父幸太は遠刈田で一人挽きを学んで、弥治郎に伝えた重要な工人であり、今三郎はその父幸太について木地を修業した。幸太は… 続きを読む
〔人物〕明治38年3月3日に青森県大鰐町蔵館の農家に生まれる。大正9年5月大鰐の嶋津彦三郎に弟子入りし、大正13年まで5年間の年季奉公した。 新太郎が嶋津の木工所に入った頃、田中重吉もここで仕事をしていた。重吉は弘前工業… 続きを読む
〔人物〕昭和7年9月27日、商業武田善之助の長男に生まれる。妻女利子は新山左内の娘、新山左京は義兄にあたる。 長男の憲好は平成20年から憲雄について木地の修業を始め、平成22年1月からはこけしの製作を本業としている。 〔… 続きを読む
〔人物〕 明治43年10月15日、土湯の農業、木地業 渡辺久吉・イチの四男に生まれる(長兄武治、次兄源吾ともに生後間もなく亡くなっているので二男と紹介した文献が多い)。三男の兄彦平は父が姶めた旅館山根屋をついだ。渡邉作蔵… 続きを読む