宮本惣内

陸中国磐井郡山目村にて文政6年9月6日に生まれた。父は宮本惣三郎。妻リサは宮城県志田郡田尻の生まれ。惣内、リサには長男惣蔵、二男惣七がいる。惣七の妻は山目の鈴木キン三女ナツである。惣七、ナツの間には永吉、永七、栄三がいた… 続きを読む

佐藤信三

〔人物〕昭和12年1月31日、宮城県仙台市の佐藤幸治、定代の三男に生まれる。佐藤賢一は長兄。佐藤賢治は祖父にあたる。中学校を卒業後、祖父の賢治、父の幸治について木地挽の技術を習得した。 こけしの描彩は仙台のこけし工人我妻… 続きを読む

皆川たみ子

〔人物〕大正11年1月8日生れ。皆川元一の妻。昭和18年ころから本荘の由利木工製作所に勤め、こけしの描彩を専門に行なった。当時鳴子から来て由利木工所で働いていた高橋盛にも描彩の指導を受けた。高橋盛一家は昭和23年に鳴子へ… 続きを読む

近藤政光

〔人物〕大正3年11月28日、山形市の会社員近藤政蔵の長男に生まれる。尋常高等小学校卒業後、山形市内の印刷屋に勤めた。昭和8年看護兵として入隊した。昭和11年除隊し、神奈川県鶴見市の東京芝浦製作所で働いたが、同所木型部に… 続きを読む

高橋兵治郎

〔人物〕   明治31年2月11日、秋田県川連村久保の木地業高橋徳左衛門・ヱクの二男に生まれる。 文献によっては兵次郎と記載しているものもあるが、戸籍表記は兵治郎である。 大正初年より、父の高橋徳左衛門について木地を学ん… 続きを読む

菊地啓

〔人物〕 大正12年2月28日、宮城県柴田郡川崎町青根温泉の木地業菊地孝太郎の六男に生まれた。こけしは昭和は37年頃より描彩のみ少しづつ行っていたが、長兄の菊地孝治、次兄の菊地正がともに木地業を離れたので、菊地啓は昭和4… 続きを読む

高橋勘七

深沢要著〈こけしの追求〉に鳴子高野幸八の弟子として紹介された。伊藤松三郎談によると「山形方面の人で明治37、8年ころ高野幸八の弟子になったが、わずかの期間でやめた」という。こけし作者であったかどうかは不明である。

小松利意

〔人物〕弥治郎系の作者佐藤誠の平時代の弟子。生年月日等詳細は不明。昭和10年代に平の佐藤誠の木工所で職人として働いた。こけしも作り、極少数作品も残されている。その後の経歴も不明である。  製作年代は極短い期間で… 続きを読む

舟山照子

〔人物〕大正8年1月6日、新潟県新潟市山田町の山岸壽治、ハツの長女に生まれる。父の壽治は公家の流れをくむ東條家の出で、山岸家の養子となった。照子は裕福な幼少期を過ごし、絵を描くことを好んだ。昭和13年頃から米沢の舟山嘉作… 続きを読む

新山久城

〔人物〕 昭和17年2月17日、刈田郡福岡村弥治郎の木地業新山久志長男として生まれる。昭和32年白石市立福岡中学校卒業後、父久志につき木地修業、翌33年頃より祖父久治型のこけしを作る。昭和40年ちよ子と結婚し41年には久… 続きを読む