〔人物〕 昭和11年12月24日、小椋多平・まつの長男として、滋賀県永源寺町で生まれる。女6人、男2人の8人兄弟であった。家業である木材チップ工場を経営していたが、日本の木地師発祥の地である永源寺で木工業を復活させるた… 続きを読む
佐藤一成
〔人物〕昭和30年2月18日m宮城県遠刈田新地の佐藤好一の長男に生まれる。曽祖父は佐藤松之進、祖父は佐藤好秋である、昭和46年より祖父の好秋について木地の修業を始め、昭和50年からは父好一の指導を受けた。こけしは昭和50… 続きを読む
佐藤五月
明治33年6月15日、佐藤栄治、ふよの三男として、宮城県刈田郡福岡村大字ハ宮字弥治郎南69番地に生まれた。伝内、勘内の弟にあたる。こけしも相当作ったというが、その作品は未確認である。大野栄治の話では甥の佐藤伝のこけしがよ… 続きを読む
大宮安次郎
〔人物〕明治34年6月17日山形県山形市双月に生まれる。大正3年学校を卒業後、山形市上山家の深瀬国雄に師事して木地の技術を学んだ。深瀬国雄(国男、国夫ともいう)に師事したのは安次郎の姉の夫が国雄の兄深瀬信義(信好ともいう… 続きを読む
竹石秀徳
〔人物〕 昭和13年2月6日福島市の公務員竹石寅吉の長男として生まれる。佐久間粂松のこけしに憧れていたため、平成10年勤めを退職した後、61歳より土湯の渡辺恒彦について木地を修業した。川俣に粂松の孫伝六を訪ね、粂松型の継… 続きを読む
煤孫茂吉
〔人物〕 明治11年8月5日、岩手県稗貫郡花巻川口町大字里の農業煤孫藤次郎・ナカの次男に生まれる。5、6歳の頃より祖父の生家であった台温泉の小瀬川金次郎宅で養育され、明治21年11歳で小学校を卒業すると、その… 続きを読む
菅原昌秀
〔人物〕 昭和46年6月29日、宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人菅原和平、くにみの長男に生まれる。 平成元年ころより父の和平について木地の技術を学び、平成3年より描彩も始めてこけしを作るようになった。 鳴子の日本こけし館は… 続きを読む
羽鳥広良
〔人物〕大正15年10月31日、米沢の羽鳥信弥の長男に生まれる。 米沢のこけし工人小林友次の弟子となって製作を学んだ。子守こけしなど新作こけしを作っていたが、昭和50年代より友次譲りの伝統的な作品も発表するようになった。… 続きを読む
斎藤斉
〔人物〕昭和6年3月22日に生まれた。昭和46年頃に花巻の佐藤一夫について木地を学んだ。佐藤一夫は伊藤松三郎の弟子であった佐藤末吉の長男で、松三郎風のこけしや、キナキナを作った。 また昭和50年頃には佐藤長雄の指導も受け… 続きを読む
我妻市助
〔人物〕 大正10年、宮城県柴田郡青根の木炭業我妻市三郎、せよの長男に生まれる。青根の我妻芳夫は実弟にあたる。父市三郎の弟は我妻吉助で、吉助は遠刈田新地の佐藤好秋について木地を修業していた。その縁で昭和12年3月より、好… 続きを読む