佐藤源吉

山形県蔵王高湯(蔵王温泉)の岡崎長次郎の弟子。〈鴻〉によると昭和16年以前に転業しているが、生年月日出身地やその後の消息は不明である。こけしは雇われた職人と同様に長次郎描彩こけしの木地を挽いたものと思われる 。

遠藤富治郎

遠刈田で木地を修業したらしいが、師匠等はわからない。昭和3、4年ころから福島の管野菊好堂で 佐藤静助と共に職人として働いた。その後福島の小幡福松方でも働いたことがある。昭和15年ころ没したという。 現在福島県北白川の遺族… 続きを読む

坪井正五郎

東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む

新山学

〔人物〕 昭和5年10月13日宮城県刈田郡福岡村八宮弥治郎の農業新山松治、まつよの三男に生まれた。母まつよは新山栄五郎の五女。 新山久志のすすめがあり、昭和46年4月より久志について木地を学んだ。農業や山仕事の傍らこけし… 続きを読む

平井盛

〔人物〕明治32年頃、福島県耶麻郡猪苗代町中ノ沢温泉の宮森食堂の主人宮森正の甥に生まれた。戸籍表記は平井栄、過去のこけし文献で平井盛と表記された。読みは「さかえ」が正しいらしい。特に定職にもつかず、宮森食堂で居候として暮… 続きを読む

朝倉公明

〔人物〕昭和24年11月21日、宮城県仙台市の朝倉英次、きぬの三男に生まれる。秀之、光洋は兄である。 公明は小学校高学年の頃から、独楽を作りや英次こけしの蝋仕上などを手伝っていた。中学生になると母きぬが描彩する作り付け細… 続きを読む

斎藤礼子

〔人物〕昭和20年11月26日、山形県蔵王高湯の斎藤源七の娘として生まれる。斎藤崇広は長兄。父の源七は昭和25年に39歳で他界した。兄崇広は緑屋の経営が軌道に乗って一段落し昭和55年頃から再びこけしも作るようになったが、… 続きを読む

小島俊幸

〔人物〕 昭和24年5月26日北海道名寄市の工夫小島正一・京子の長男に生まれる。昭和38年小学校卒業とともに青森県温湯温泉の佐藤善二のもとに移り、黒石市の東英中学校に通った。善二は東英中学でこけし教室を開き、希望の生徒に… 続きを読む

婢子会

大正13年11月より同15年8月にかけて活動した関西で最も古い郷土玩具の研究、同好会。 同人は友野祐三郎(主宰)、筒井英雄、黒田源次、尾崎清次、西原豊の五人。筒井英雄は大阪の「筒井郷玩店」の店主で、古鳴子や飯坂の栄治、善… 続きを読む

常川雄三郎

〔人物〕大正3年7月3日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄の三男に生まれた。長兄は新太郎、次兄は潤次郎、弟に秀雄、左吉雄がいた。長兄の新太郎より木地を学んだ。昭和11年に遠野の菊池町長の招聘で一家は遠野材木町に移住した。遠野… 続きを読む