小松伊三郎ともいう、山形県上ノ山生まれ。蔵王高湯系岡崎栄治郎の弟子。大酒のみのうえ酒乱で、一ヵ所に定着できず、肘折、及位、蔵王高湯、釈迦堂などを職人として転々とした。 佐藤丑蔵によれば、肘折にいたころは美人で唄の上手な妻… 続きを読む
小松伊三郎ともいう、山形県上ノ山生まれ。蔵王高湯系岡崎栄治郎の弟子。大酒のみのうえ酒乱で、一ヵ所に定着できず、肘折、及位、蔵王高湯、釈迦堂などを職人として転々とした。 佐藤丑蔵によれば、肘折にいたころは美人で唄の上手な妻… 続きを読む
〔人物〕昭和13年2月22日、北海道の会社員早坂耕五郎の長男に生まれる。昭和31年より仙台市青葉区八幡町の叔父早坂伝吉について木地を修業した。昭和43年より青葉区芋沢の佐藤正広の工場の職人として働いた。昭和48年2月に青… 続きを読む
〔人物〕昭和17年2月8日、東京の会社員原野光幸の長男に生まれた。昭和38年より宮城県鳴子の早坂隆に師事して木地を学んだ。昭和58年頃より自分の名義でこけしを発表するようになった。 〔作品〕早坂隆よりの伝承であるが、鳴子… 続きを読む
〔人物〕明治26年12月21日岩手県稗貫郡湯口(志戸平)の佐々木角次郎、リンの三男に生まれる。祖父は与市、長兄は与始郎である。戸籍表記で祖父、長兄は「与」を次兄與初から「與」の旧字体になる。與五郎は子供時代から家業の木地… 続きを読む
宮城県刈田郡遠刈田では、大正6年と7年に宮城県から約30名の弟子を6ヵ月養成するだけの補助金が交付された。北岡商店は佐藤広喜を講師として木地職人の養成を行った。 我妻東三郎はその時の弟子の一人。 他の主な弟子は、高橋林平… 続きを読む
〔人物〕 昭和5年8月8日福島県土湯の製炭業斎藤幸太郎・エキの長男に生まれる。父の幸太郎は斎藤太治郎とその妻であった会津屋の娘たまとの間の長男。従って弘道は太治郎の直系の第一孫にあたる。昭和20年3月土湯尋常小学校を卒… 続きを読む
こけしの作者佐藤文助の祖父。 嘉永6年8月21日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の木地業佐藤亥之松の五男に生まれた。父亥之松や祖父七右衛門について木地の技術を学んだ。佐藤友晴著の〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると、明治5年… 続きを読む
〔人物〕 大正3年10月18日、宮城県刈田郡小原村湯元23に生まる。桂屋旅館主四竃太郎兵衛・みつゐの長男、昭和8年3月旧制白石中学校を卒業した。日ごろ油絵等の絵心があったので、昭和15年ころに、本田亀寿の木地に描いたもの… 続きを読む
〔人物〕 昭和3年3月19日、遠刈田新地佐藤文助・よしの長男として生まれる。昭和16年尋常小学校卒業後、文助につき木地修業。糸巻き・コマ類から始めて、こけしを作ったのは鈴木凡太郎注文の豆根付けが最初である。昭和19年から… 続きを読む