石原日出男

石原日出男(いしはらひでお:1925~1999)

系統:鳴子系

師匠:見取り

弟子:

〔人物〕大正14年3月13日、石原謙太郎、みつのの末子として東京市芝区で生まれた。父謙太郎は宮城県涌谷町にて商業を経営していた。母のみつのは鳴子の大沼岩太郎の長女せいと養子浅吉の間に生まれており、日出男にとって岩太郎は曽祖父にあたる。日出男は昭和23年東北大学理学部化学科を卒業後、東京都立松原高等学校の教員を務めたが、病弱であったために自宅で療養するようになり、その間に猪熊弦一郎画伯について洋画を学んだ。
昭和35年に武田幸子と結婚した。幸子は鳴子のこけし工人大沼新兵衛の姉しうの娘であり、大沼君子の従姉妹にあたる。
その後仙台に転居し、新型こけし、創作こけしの製作に従事した。山中登(萬造寺龍)会長と日本農村工芸作家協会を創立、その理事となって活勤し、創作こけし界の重鎮となった。
昭和38年ごろより伝統こけしの描彩を始め、大沼甚四郎型、高野宰ハ型、鈴木庸吉型などの鳴子古型を復元、各地の百貨店、専門店等に出した。木地挽きは行わず描彩のみであるが、日出男自身の経歴と性格による優れた描彩力によって、当時後継者の乏しかった古作の復元に努めた。ただし本職が創作こけしで伝統の型はサイドワークであったため、こけし蒐集界の長老の中には模作者だときめつける者もいた。芸術家肌で繊細、所謂こけし工人の範疇からは離れた存在であった。
創作こけしの分野では第一人者であり、その創作こけしの木地は佐藤正廣が主に受け持っていた。
平成11年没、行年75歳。

創作こけしの分野においては下記のように多くの受賞、個展、役職の経歴がある。

  • 昭和36年全国こけし人形展において「狩人」が作家協会長賞
  • 昭和38年全国こけし人形展において「少女」で年度賞
  • 昭和39年全国こけし人形展において「夕陽」で内閣総理大臣賞
  • 昭和39~42年ポエチィッククラフト展主宰
  • 昭和43年全国こけし人形展にて特選他これまでに60賞受賞
  • 昭和44年全国展審査員、NHK国際局テレビ海外教育版の代表に選ばれテレビでこけし解説
  • 昭和45年アイルランド・ヒッピーと組みダブリン、ロンドン等でクラフト展を主宰
  • 昭和52年日本こけし工芸会設立に参加
  • 昭和53年ギリシャクラフトマンをアテネに視察
  • 昭和54年木人形絵画展開催
  • 昭和56年「民芸のこころ」共著
  • 昭和59年陶磁器展開催

〔作品〕伝統こけしにおいては古鳴子の復元が持ち味で、製作歴の長い甚四郎型を最も得意とした。ただ木地を挽く工人が時により変わり、造形的指導が不十分の場合には甚四郎の味がうまく出せない場合もあった。
鹿間時夫が鳴子の佐藤実に木地を挽かせて、日出男に描彩を依頼した甚四郎様式の古鳴子を、鹿間時夫は〈こけし鑑賞〉に取り上げて高く評価した。
下掲は甚四郎型、木地を挽いた工人の特定は難しいが、一応大沼一族の木地の形態に従っていて、甚四郎の雰囲気を出している。


〔24.0cm(昭和46年)(高井佐寿)〕

甚四郎型のほかに鈴木庸吉型、高野幸八型などの古鳴子の型のほか、仙台の高橋胞吉型などの描彩も行った。ただ、伝統こけしの作品数は必ずしも多くはない。

〔伝統〕 甚四郎型、幸八型等は鳴子系。胞吉型は作並系。

〔参考〕

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