大宮正安(おおみやまさやす:1936~1995)
系統:蔵王高湯系
師匠:大宮安次郎
弟子:
〔人物〕 昭和11年12月12日、山形市双月の大宮安次郎二男に生まれる。昭和27年より父安次郎につき木地を修業したが、その年に安次郎は亡くなり、以後兄安光について技術習得した。昭和31年山形工業高等学校を卒業後も木地を続け、昭和33年に独立開業した。こけしは昭和34年より作り始めた。以後継続的にこけしを製作した。
平成7年1月19日没、行年60歳。
〔作品〕安次郎から指導を受けたのはごく短期間で、安次郎の死後は主に兄の安光から習った。ただし当時の安光は新型専門であった。しかし、このころ母の実家から安次郎作のこけしが見つかり、それをもとに伝統の型を作ったので、独立開業当時の作は安次郎の作風が感じられる素直な作であった。
下掲の右は昭和34年の作で、製作開始間もない時期の作である。強烈な個性は無いが、父安次郎が蔵王高湯で学んできた能登屋、万屋の作風を継承して、鑑賞に堪えるこけしとなっている。左は昭和35年作、頭が大きく、細身の胴とのバランスが良い。面描も細筆で長く引いた眉、瞼の線も張りが合って良い。
〔右より 24.8cm(昭和34年)安次郎型、24.5cm(昭和35年)(橋本正明)〕
昭和44年頃から、我妻勝之助の復元を始めた。また、安次郎型の復元にも本格的に取り組み、昭和55年から58年にかけて秀作を多く発表した。
昭和55年以降、数回にわたり勝之助の現物を見ながら復元する機会があり、勝之助の作風の再現に近づくことができた。
〔右より 18.2cm(昭和56年)我妻勝之助型、18.3cm(昭和58年)大宮安次郎型(橋本正明)〕
大小一組の勝之助型はたつみでも頒布された。
下掲は小の作り付け。中屋惣舜旧蔵のものの復元。
〔系統〕蔵王高湯系
〔参考〕