明治36年3月1日~7月31日に大阪市天王寺今宮で開催された第5回目の内国勧業博覧会。日清戦争の勝利により産業が活性化し市場が拡大していたこと、および鉄道網がほぼ日本全国にわたったことなどにより、会期153日、入場者数4,350,693人という規模の大きな内国勧業博覧会となった。
また今回の開催は、海外貿易を伸ばす目的にも力点が置かれた。外国の製品を並べる参考館には、十八か国から多くの出品申し込みがあり、小型の万国博覧会という性格にもなった。
さらに、栽培・製造・採取等生産者が出品するだけでなく、その物品を販売することを職業とする流通、商店主などの出品も許され、また海外への輸出も視野にいれた開催であった。
宮城県
欅三ツ入盆 柴田郡川崎村前川一〇八 小原仁平
桜菓子入 同 同
同菓子皿 同 同
同花台 同 同
欅茶入 同 同
欅皿形盆 同 同
槐煙草入 同 同
宮城県では、青根の小原工場の小原仁平が第4回の時より多くの種類を出品していた。遠刈田新地の個人からの出品はない。青根木地業は当時全盛期であり、小原工場では多くの職人を雇って、その製品を遠刈田、蔵王高湯、白石、山形、仙台方面までにも納めていた。出品者の小原仁平は、工場主として職人の製品を博覧会に出品したのであろう。
青森県では、大鰐から田中忠太郎(田中重吉の父)の柏木茶入、村井萬太郎(福太郎の父)の茄子形茶入(槐)、島津彦蔵(島津彦作、彦三郎の父)、盛與助(盛秀太郎の祖父)の杓子、擣衣杵(とういしょ)の出品があった。擣衣杵は布を叩いて柔らかくする道具、すなわちジョウバ槌である。
岩手県からは、常川萬蔵による汁杓子大中小の出品があった。萬蔵は常川新太郎の祖父である。一家は盛岡にあって、昭和11年新太郎の代に遠野に移った。
〔参考〕
- 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)
- 第5回内国勧業博覧会