佐藤常吉

秋田県川連の木地師。明治末期に鳴子に来て秋山忠の木地工場(西条菓子店の辺りにあった)で職人として働いた。この時、この工場で秋山慶一郎も共に木地を挽いたという。
忠の弟子とも言われるが、川連から木地職人を招いて椀木地を挽かせたという説もあり、川連で既に木地を学んでいたと思われる。事実下掲のように、明治39年に秋田市で開催された第5回奥羽連合共進会においては川連村佐藤常吉として吸椀を出品して受賞しているから、鳴子に来た時には既に腕の立つ椀木地師であったと思われる。


第5回奥羽連合共進会 漆器の部(明治39年5月)

その後、川連に帰って、継続して木地、漆器の製作に携わった。
大正3年東京で開催された大正博覧会には木地製品、漆器を出品している。


東京大正博覧会(大正3年)出品目録

常吉がこけしを製作したかどうかは不明。しかし、川連と鳴子の木地業や漆器業の結びつきが深かったことはわかる。常吉の生年没年月日は不明。

〔参考〕

  • 山本陽子:地方博覧会・共進会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・5〉(令和3年4月)
[`evernote` not found]