秋山忠三郎(あきやまちゅうざぶろう:1918~)
系統:鳴子系
師匠:秋山忠
弟子:
〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株式会社に入り、ここで応召となった。昭和22年に18歳で復員し、鳴子に戻って木地業に従事した。この時期にこけしも作った。長崎こけし会(梅田之主宰)の努力で開催された「こけし展」では高橋盛雄とともに実演を行った。
昭和30年代に転業し、鹿島建設株式会社に勤務した。その後の経歴は不詳である。
〔作品〕昭和23年から2年間が最も盛んにこけしを制作した時期である。川口貫一郎の発刊していた〈こけし〉誌により名前が紹介されたが、その他の文献ではほとんど取り上げられていない。作品数は少なく稀品に属する。忠市を大味にしたような作風であった。
〔伝統〕鳴子系岩太郎系列
〔参考〕