阿部四郎兵衛

福島県土湯の名主で、木地業も行っていた。当主は代々家名の四郎兵衛を名乗った。弘化2年君ケ畑(1845)、嘉永2年蛭谷(1849)、安政4年蛭谷(1857)、明治5年君ケ畑(1872)の氏子狩りに応じている。
明治5年に氏子狩りに応じた四郎兵衛には、長男國松、二男辰之助、長女ソノ、三男利助、四男栄七、次女タカがいた。
國松、辰之助は木地を挽いたが、こけしは作らず、主な製品は盆、茶壷、煙草入れ、ロウソク立て、箸立てなどであったという。おそらく四郎兵衛も同様であったであろう。
明治9年1月31日没。家督は四男栄七が継いだ。

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